移民政策と陸奥国分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
「日本の古代東北経営」の記事における「移民政策と陸奥国分割」の解説
和銅6年12月、大崎平野に丹取郡が建てられた。近年の見解では、大崎地方中部以北の広大な地域を占める大規模な郡で、のちに丹取郡・志太郡・黒川郡・色麻郡などの諸郡が母胎となって黒川以北十郡が分立したと考えられている。 霊亀元年5月30日(715年7月5日)、坂東6国(相模国・上総国・常陸国・上野国・武蔵国・下野国)から陸奥国へ富民1000戸の大量移民があった。 養老2年5月、陸奥国の石城郡・標葉郡・行方郡・宇太郡・曰理郡の5郡と常陸国の菊田郡を石城国、陸奥国の白河郡・石背郡・会津郡・安積郡・信夫郡の5郡を石背国とした。これによって陸奥国の領域は宮城県中南部の柴田郡・名取郡・伊具郡・宮城郡の4郡と大崎平野の黒川郡・色麻郡・志太郡・丹取郡の4郡を併せた狭小なものになったとみられる。
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