ソロモン海での戦い
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「雪風 (駆逐艦)」の記事における「ソロモン海での戦い」の解説
9月4日、大鷹型航空母艦2番艦雲鷹を護衛して横須賀を出港、トラックに進出した。サボ島沖海戦の翌日10月12日、雪風は第16駆逐隊の僚艦天津風と共にヌデニ島のグラシオサ湾(サンタクルーズ諸島)を偵察、砲撃した。ヌデニ島はアメリカ軍の飛行艇基地などがあり、9月11日以来日本軍は潜水艦や駆逐艦によって三度に渡って砲撃を加えていた。 詳細は「南太平洋海戦」を参照 雪風ら第16駆逐隊の4隻は、10月21日、第三艦隊(南雲機動部隊)を護衛してサンタクルーズ海域に進出。10月26日からの南太平洋海戦には第一航空戦隊の翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、第七戦隊の熊野、第4駆逐隊の嵐、舞風、第17駆逐隊の浜風、第61駆逐隊の照月らと共に参加した。当初、雪風は第三艦隊旗艦の翔鶴の直衛だったが、21日から26日にかけて機動部隊が南下、北上を繰り返す間に艦隊の陣形は変更され、24日には翔鶴の無電代理を行った第4駆逐隊の嵐が翔鶴の直衛兼通信担当に、雪風は空母瑞鶴の護衛になっている。26日、連合軍空母エンタープライズ及びホーネットの艦載機の空襲を受けた。当初瑞鶴はスコールに隠れて敵が来なかったため、雪風は翔鶴の護衛に加わり対空戦闘を行った。翔鶴、瑞鳳が被弾により撤退した後は瑞鶴を護衛してアメリカ軍機と交戦した。この後、瑞鶴に収容された瑞鳳艦載機搭乗員は「失礼ながら高みの見物しかできなかったが、見事な戦闘だった」と瑞鶴、雪風の戦いを振り返っている。戦闘後は味方機の収容に当った。日没後、雪風と瑞鶴は敵に発見される危険を冒しながら探照灯により空母の位置まで味方機を誘導し、海面に不時着した機の搭乗員を救助した。この一連の功績により、海戦後、山本五十六連合艦隊長官より感状を授与されている。戦闘後、第16駆逐隊や第17駆逐隊の姉妹艦は損傷艦の護衛任務に従事して内地へ帰投、トラック泊地に残る第16駆逐隊は雪風と天津風の2隻となった。 詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 11月、ガダルカナル島の戦局は日本軍不利に傾いていた。日本海軍連合艦隊司令部は第十一戦隊(司令官阿部弘毅中将)の金剛型戦艦2隻(比叡、霧島)によるガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を行うことを決定した。雪風は第16駆逐隊の僚艦天津風、第十戦隊旗艦長良、第61駆逐隊の照月、第6駆逐隊の暁、雷、電、第四水雷戦隊旗艦朝雲、第2駆逐隊の村雨、五月雨、夕立、春雨、第27駆逐隊の時雨、白露、夕暮らと共に飛行場砲撃を行う挺身艦隊に編入され、ガダルカナル島に進出した。第十戦隊の任務は、第十一戦隊直衛ならびに敵警戒艦艇の排除であった。アメリカ軍も日本軍を迎撃すべく集結し、両軍の間で第三次ソロモン海戦が発生した。11月12日深夜から11月13日未明にかけての第三次ソロモン海戦第一次夜戦は予期せぬ夜間艦隊戦となり、大混戦となる。斉藤通信士(雪風艦橋勤務)によれば、激しい撃ち合いは一瞬で終わり、魚雷を発射したかも定かではないという。この戦闘で、第16駆逐隊からは天津風が大破(缶室浸水、戦死45名・負傷25名、速力16ノット)という被害を出した。雪風も友軍艦艇の誤射により若干の浸水が発生した。アメリカ軍に対しては、00時15分に巡洋艦に対し照射砲撃、00時25分にマハン型駆逐艦に対し照射攻撃、『何れも撃沈確実と認む』と報告した。実際のアメリカ軍被害とは異なるものの、雪風は防空巡洋艦1隻(長良、春雨と共同)・駆逐艦1隻(長良と共同)を撃沈したと認定された 第一次夜戦終了後、雪風は操舵不能となった挺身攻撃隊旗艦比叡を駆逐艦照月、第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)と共に護衛せよとの命令を受けた。なお、挺身攻撃隊の指揮権を継承した第十戦隊司令官(旗艦長良に乗艦)が比叡の護衛を命じたのは照月、時雨、白露、夕暮の4隻である。戦場離脱を命じられ一隻で航行中だった雪風はその途中で長良と遭遇、手旗信号によって比叡が航行不能に陥り火災発生中であると伝えられると、比叡の救援に急行した。長良は破損により艦が傾斜した状態であったため、海域を離脱した。比叡の救援に向かう途中、被害箇所(医務室)の修理を行った際弾丸の破片が見つかったが、弾底部に佐世保軍需部の印があった事から味方の誤射であったと判った。雪風砲術科の兵は「比叡の副砲の弾だろう」と推測している。 午前4時20分、雪風は最も早く比叡の元に到着した。午前5時5分、日の出と共に制空権を握るアメリカ軍の空襲が始まる。午前6時、4隻の駆逐艦(照月、時雨、白露、夕暮)が到着し、護衛駆逐艦は5隻になった。比叡は通信能力を喪失していたため、第十一戦隊司令部は最初に現場海域に到着した雪風への移乗を決定。午前6時15分、比叡に乗艦していた阿部中将らが移乗し、雪風は戦隊旗艦となった。この時、戦艦用の大きな中将旗をマストに掲げた為に敵機の目標となったとある。至近弾によって汽缶に亀裂が入り発電機も故障した雪風は最大速力発揮不可能となり、爆弾の破片を頭部に受けた白戸水雷長が重体となった。時雨以下各艦も損害が累加していった。比叡にも複数の爆弾と魚雷が命中し舵復旧の見通しも立たず、曳航するはずだった霧島も退避したため、司令部は救援の見込みがなくなった比叡の処分を命じた。雪風は比叡乗組員の救助を行い、阿部司令官は第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)に魚雷2本の用意を命じ、比叡の雷撃処分を命じた。だが、山本連合艦隊司令長官より処分中止の命令があり、第27駆逐隊の司令駆逐艦時雨に中止命令が出た。一方で、第十一戦隊司令部と連合艦隊司令部との間では、比叡の処分を巡ってやりとりがあった。その後、ヘンダーソン飛行場砲撃を企図する第七戦隊(指揮官西村祥治少将/鈴谷、摩耶)との同士討ちをさけるため一旦避退を決定。雪風以下各艦は比叡を残して現場海域を離れた。深夜、連合艦隊より比叡の状況を確認せよとの命令がありサボ島海域に戻り30分ほど捜索するが、比叡を発見できず、第十一戦隊は「比叡は沈没した」と判断してソロモン海を離れた。雪風戦闘概報によれば、比叡護衛中における被害は以下の通り。 一.12日夜戦後13日0400より1700迄(照月.二十七駆0600合同)比叡の護衛に従事す。其の間約1時間間隔にて十数回に亘り敵雷爆機戦闘機水偵及B17延機数100機以上の執拗なる雷爆撃銃撃を受けたるも(不明)協同戦果撃墜せし敵機3機以上。二.爆撃至近弾並に機銃掃射に依り、探照燈・2番砲塔左砲使用不能、一号発電機被弾の為不具合、船体数ヶ所に小破口小浸水、其の他全力発揮に支障なし。重傷兵1、軽傷准士官以上1・兵3。三.消耗弾数(残弾)主砲374(526)、機銃1150(5098)。収容せる比叡の乗員准士官以上(司令官艦長を含む)29名・下士官兵283名、准士官1・下士官1・兵1収容後絶命。 なお、吉田俊雄(元軍令部参謀で、第3次ソロモン海戦には参加していない)などの一部著作では、比叡は雪風により雷撃処分されたとしている。だが戦闘詳報や雪風乗員の証言には魚雷発射の記録はなく、雷撃処分を命じられたのは前述のとおり第27駆逐隊の時雨、白露、夕暮であり雪風には下されていない。雪風では比叡護衛中の空襲によって白戸水雷長が頭部を負傷し重体であり、雷撃処分指令を受理できる状況ではなかった(白戸大尉は開戦以来雪風の水雷長を務めたが、この負傷により退艦。頭部弾片の摘出はできず、戦後まもなく逝去)。比叡艦長の西田正雄大佐は、第三次ソロモン海戦から一週間後に作成した戦闘詳報の草稿の中で「雪風に収容された後、GF司令部から「比叡の処分待て」の命令があり、それならば比叡に帰還すべきと申し出たが許されず、遂に比叡をそのままにして海域を離れた」と記し、比叡の雷撃処分が実行されていないと証言している。当時の雪風水雷員兼暗号担当は連合艦隊からの命令により比叡処分は中止となったと述べている他、この時比叡を護衛していた照月主計長も駆逐艦による雷撃処分は中止されたと証言している。比叡の雷撃処分は「比叡のキングストン弁は開放されていなかった」と言う吉田俊雄の疑念に基づく考察だったが、比叡発令所所長の柚木哲や、比叡砲塔長の安田喜一郎が自沈のため比叡の注水弁が開かれたと言う証言を残している。吉田俊雄も後年の著書で「比叡はキングストン弁開放による自沈」と記し「雪風が雷撃処分を行った」とする自らの見解を翻している。 比叡沈没後、雪風以下損傷艦は第三次ソロモン海戦第二夜戦に参加できずトラック泊地へ向かった。18日にトラック泊地帰投後、十一戦隊司令部は雪風から戦艦陸奥に移乗して同隊解隊手続きに入った。雪風は工作艦明石から修理を受けた。12月9-10日、雪風は初雪と共に空母飛鷹を護衛して内地に到着した。天津風も12月20日に呉軍港に帰還した。 1943年(昭和18年)1月10日、第16駆逐隊の初風がガダルカナル島輸送作戦でアメリカ軍魚雷艇と交戦し大破、長期修理となった。1月19日、雪風は大和型戦艦2番艦武蔵、第一航空戦隊の空母瑞鶴、瑞鳳、軽巡洋艦神通、第十駆逐隊の秋雲、夕雲、巻雲、風雲と共に内地発、1月23日に到着した。雪風は第十駆逐隊と共に南東方面部隊に編入され、さらに外洋部隊(第八艦隊)に編入となり、ラバウルへ向かう。この航海の途中、米潜水艦に撃沈された海軍徴傭船平洋丸の短火艇が漂流している所を発見し、艇に乗っていた生存者50名を救助した。救助した中に南方慰問団の団員が含まれており、この年の2月20日、この慰問団がトラック泊地入港中の大和艦内で演芸会を開催した際、雪風乗員は招待を受けている。
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