第十駆逐隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 11:05 UTC 版)
「巻雲 (夕雲型駆逐艦)」の記事における「第十駆逐隊」の解説
1942年(昭和17年)3月14日、本艦は夕雲型1番艦「夕雲」とともに第10駆逐隊(駆逐隊司令阿部俊雄大佐〔海軍兵学校46期〕、前職第8駆逐隊司令)を編成。3月19日、横須賀鎮守府司令長官平田昇中将は「巻雲」を視察した。 3月28日、浦賀船渠で建造されていた夕雲型3番艦「風雲」が竣工、同日附で第10駆逐隊に編入された。4月上旬、夕雲型3隻(夕雲、巻雲、風雲)は横須賀で待機する。4月15日、第五航空戦隊所属だった一等陽炎型19番艦「秋雲」が第10駆逐隊に編入され、同駆逐隊は定数4隻(夕雲、巻雲、風雲、秋雲)となった。 秋雲編入直前の4月10日、戦隊改編により第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将〔海軍兵学校36期〕)の直衛に任ずる部隊として第十戦隊(司令官木村進少将〔海軍兵学校40期〕)が編成され、第十駆逐隊も第10戦隊に編入された。これまでの第一水雷戦隊(大森仙太郎少将・海兵41期)に代わって南雲機動部隊の直衛に就く第十戦隊は、旗艦長良以下、第10駆逐隊《第1小隊:(1)風雲、(2)夕雲、第2小隊:(3)巻雲、(4)秋雲》、第17駆逐隊《第1小隊:(1)谷風、(2)浦風、第2小隊:(3)浜風、(4)磯風》、第7駆逐隊《第1小隊:(1)潮、(2)漣、第2小隊:(3)曙》が所属していた。だが第7駆逐隊は機動部隊から外されており、実際の機動部隊警戒隊(指揮官:第十戦隊司令官)は長良以下第10駆逐隊4隻、第17駆逐隊4隻、第四水雷戦隊/第4駆逐隊(有賀幸作司令:第1小隊《嵐、野分》、第2小隊《萩風、舞風》)という編制である。 詳細は「ドーリットル空襲」を参照 4月14日、10駆2隻(巻雲、風雲)に軍人勅諭の伝達式が行われる。4月18日、米軍機動部隊(空母ホーネット、エンタープライズ基幹)は日本本土空襲を敢行(ドーリットル空襲)。第二艦隊司令長官近藤信竹中将は東日本在泊の艦艇(第四戦隊《愛宕、高雄、摩耶》、空母《祥鳳》、第4駆逐隊《嵐、野分》、第7駆逐隊《潮、曙、漣》、第10駆逐隊《風雲、夕雲、巻雲》、第8駆逐隊《朝潮、荒潮》)を中心に『前進部隊本隊』を編制。その他の部隊・艦を指揮して日本本土を出撃した。その後、会敵することなく作戦中止となり、各艦・各隊は母港に帰投した。途中、2隻(摩耶、巻雲)はソ連船調査のため前進部隊から分派され、他艦に遅れて横須賀に戻った。
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