ホーネットの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 22:11 UTC 版)
「ホーネット (CV-8)」の記事における「ホーネットの最期」の解説
「事情許さば、拿捕曳航されたし」と連合艦隊参謀長であった宇垣纏少将の命令を受け、日が暮れようとする海原を前進した日本海軍第三艦隊は、彼方から遠雷のような砲声を聞いた。これは、先にマスティンとアンダーソンがホーネットに砲弾と魚雷を撃ち込んでいた音だったと考えられた。第十駆逐隊の駆逐艦秋雲と巻雲は本隊から分離し、速力を上げて海上に漂うホーネットに向かった。やがて、炎上し漂流中のホーネットを発見。ホーネットはいたるところから火を噴き、艦首からは曳航されていたことを物語るロープが数本垂れ下がっていた。日本側は連合艦隊司令部からの命令に従ってホーネットの拿捕曳航を行おうとしたが排水量に差がありすぎ、さらには火災が広範囲に広がっていたことから最終的に断念している。秋雲は12.7センチ砲24発をホーネットに撃ち込んだがホーネットは微動だにせず、爆雷での処分も検討されたが、爆雷の射程が短く断念された。結局、魚雷で処分することとなり、秋雲と巻雲からそれぞれ2本ずつ発射され、3本が命中した。この後、秋雲ではホーネットの断末魔を記録すべく、絵の上手な信号員に炎上中のホーネットを描くよう命じた。艦長はスケッチの助けにしてやろうと、ホーネットに向けて何度もサーチライトを照射した。スケッチが終わり、やがてホーネットの火災は艦全体に広がった。秋雲と巻雲が見守る中、ホーネットは10月27日午前1時35分、サンタクルーズ諸島沖に沈んでいった。乗員2,200名のうち140名が艦と運命を共にした。 ホーネットが攻撃を受けるこの様子は艦上からフィルムに記録されており、このフィルムを鹵獲した日本では学徒出陣の映像と共に『日本ニュース』第177号「決戦」として上映され、有名な映像となっている。また、秋雲の信号員がスケッチしたホーネットの最期の姿も残されている。
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