アメリカ軍機動部隊との戦いとは? わかりやすく解説

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アメリカ軍機動部隊との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 09:34 UTC 版)

比叡 (戦艦)」の記事における「アメリカ軍機動部隊との戦い」の解説

アメリカ軍継戦意欲を砕くため、山本五十六連合艦隊司令長官残存する米空母撃滅企図した。ミッドウェー島占領しハワイから進出してくるアメリカ軍機動部隊艦隊迎撃するという作戦である。5月第三戦隊の中で編成替えが行われる。第1小隊比叡金剛)、第2小隊榛名霧島)となり、第一小隊比叡金剛)は近藤信竹中将第二艦隊(攻略部隊本隊)に加わり第2小隊榛名霧島)は南雲機動部隊編入された。5月29日比叡日本出発した6月5日日本軍アメリカ軍の間にミッドウェー海戦勃発した近藤艦隊南雲部隊から距離340浬・28 kt12時間地点空母3隻(赤城加賀蒼龍被弾炎上という速報受信する近藤中将直ち東方進軍命じアメリカ軍機動部隊との水上戦闘を企図したが、アメリカ軍機動部隊日本軍との夜戦嫌って東方反転退避する。さらにレーダー搭載した戦艦日向山本長官以下第一戦隊(大和長門陸奥とともに遥か西方にあり、近藤中将夜戦断念し続いて山本長官の退却命令により退却行動入った空母瑞鳳第三戦隊、第五戦隊第八戦隊等は北方進出アリューシャン方面の戦い投入される支援部隊第一支援隊〈比叡利根筑摩秋雲風雲夕雲巻雲旭東丸〉、第二支援部隊妙高羽黒金剛阿武隈、第21駆逐隊朝雲夏雲峯雲、玄洋丸〉)を編成アリューシャン方面哨戒任務についたアメリカ軍機動部隊出現せず7月11日横須賀帰港した7月14日戦時編制改訂された。南雲忠一中将草鹿龍之介参謀長指揮のもと、第一航空戦隊空母翔鶴瑞鶴瑞鳳)・第二航空戦隊空母飛鷹隼鷹龍驤)を中核とする第三艦隊編成され金剛型2隻(比叡霧島)は第十一戦隊(司令官阿部弘毅少将)を形成して第三艦隊専属部隊となった8月7日アメリカ軍ウォッチタワー作戦発動しアメリカ軍機動部隊支援の元、ガダルカナル島フロリダ諸島ツラギ島アメリカ海兵隊上陸、これらを占領したガダルカナル島の戦いフロリダ諸島の戦い)。日本軍ラバウルから一式陸上攻撃機を、水上からは外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官/中将7月まで比叡座乗率い外南洋部隊第八艦隊迎撃に向かわせた。日本軍航空隊は「軽巡2隻、輸送船10隻、大巡1隻大火災、中巡1隻大破傾斜駆逐艦2隻火災輸送船1隻火災」を報告第八艦隊第一次ソロモン海戦で「巡洋艦10撃沈駆逐艦4隻撃沈」を報告した実際には、第八艦隊重巡洋艦4隻を沈めたものの、航空隊戦果駆逐艦2隻撃沈駆逐艦2隻大破けだった8月16日比叡以下第三艦隊トラック島向けて日本出発した。この時点空母3隻(第二航空戦隊隼鷹飛鷹〉、一航戦瑞鳳〉)は訓練途中だったため、ソロモン諸島向かった空母は3隻(翔鶴瑞鶴龍驤)だけだった第三艦隊は主に2つ集団構成され空母少数護衛部隊(艦艇からなる本隊第十一戦隊(比叡霧島)・第七戦隊重巡洋艦鈴谷熊野)・第八戦隊重巡洋艦利根筑摩)の前衛艦隊分かれている。前衛艦隊空母部隊から100-150浬前方進出して一列陣形(艦間隔10-20km)をとり、索敵敵機攻撃吸収する役割担った。いわば囮となる前衛艦隊将兵からは不満が続出したが、指揮官達は新陣形・新戦法検討する時間与えられないまま最前線進出した8月21日アメリカ軍機動部隊出現報告により第三艦隊トラック入港中止し前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕指揮下の第二艦隊前進部隊)と合流した近藤中将第三艦隊指揮する南雲中将より先任だったため、形式上近藤中将南雲中将機動部隊指揮することになっていたが、近藤司令部と南雲司令部お互い情報交換戦術すり合わせ一度行ったことがなかった。8月24日第二次ソロモン海戦では、第三艦隊前衛部隊機動部隊本隊からわずか5-10程度しか進出せず、近藤中将第二艦隊第三艦隊無線封鎖をしているために味方位置すら掴めなかった。24-25日にわたる一連の戦闘作戦で、日本軍は3隻(龍驤睦月金龍丸)を喪失したまた、軽巡神通水上機母艦千歳中破した。龍驤沈没分を含め零戦30艦爆23艦攻6、偵3を喪失したアメリカ軍空母エンタープライズUSS Enterprise, CV-06)が中破して航空機20失った前衛部隊B-17重爆空襲され、戦艦霧島駆逐艦舞風付近に弾着したが被害はなかった。この戦闘比叡零式水上観測機1機をSBDドーントレスとの空戦により失っている。ガダルカナル島へ向かう輸送船団第二水雷戦隊護衛)が撃退されたことで、ガ島戦は新たな局面迎える。8月28日第三艦隊トラック泊地到着した9月10日ソロモン諸島北東海面向けてトラック泊地出撃アメリカ軍機動部隊捜索した会敵できず、9月23日トラック泊地戻った。 約1ヶ月後の10月26日ガダルカナル島日本陸軍総攻撃支援する日本海軍と同海域制海権確保しようとするアメリカ軍機動部隊との間に南太平洋海戦勃発した南雲機動部隊第一航空戦隊翔鶴瑞鶴瑞鳳)を基幹とする本隊指揮官南雲忠一第三艦隊司令長官)と、第十一戦隊司令官指揮官とする前衛部隊戦艦比叡霧島〉、重巡鈴谷利根筑摩〉、第十戦隊補給部隊油槽船6隻、駆逐艦野分)に分離して行動した機動部隊前衛部隊米空母2隻(ホーネットエンタープライズ攻撃隊の空襲を受け「筑摩」が大破した前衛部隊それ以上被害はなかった。つづいて前衛部隊は、前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕)の指揮下に入り撤退するアメリカ軍機動部隊追撃することになった前衛部隊行動積極性欠いていたが、ともかく前進部隊第二艦隊)に合同し追撃開始航行不能になっていた空母ホーネットUSS Hornet, CV-08)を捕捉しホーネット撃沈成功している。日本軍当初アメリカ軍主力空母3隻、戦艦1隻(籠マスト)、大巡1隻、駆逐艦1隻、艦型不詳1隻(大巡以上)を撃沈した誤認していた。

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アメリカ軍機動部隊との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 11:05 UTC 版)

巻雲 (夕雲型駆逐艦)」の記事における「アメリカ軍機動部隊との戦い」の解説

第十戦隊1942年昭和17年6月5日ミッドウェー海戦初陣となったアメリカ軍機動部隊艦載機攻撃により空母3隻(赤城加賀蒼龍)が被弾炎上赤城を第4駆逐隊第1小隊(嵐、野分)、加賀を第4駆逐隊第2小隊萩風舞風)、「蒼龍」を第17駆逐隊第2小隊浜風磯風)が護衛し、各艦乗組員救助おこなった夕雲巻雲蒼龍乗員救助行った後、最後まで戦闘続けていた空母飛龍救援向かった飛龍乗組員巻雲風雲移乗した。巻雲魚雷1本を発射して飛龍雷撃処分した巻雲以下残存艦隊飛龍沈没確認しないまま西方退避した6日になり空母鳳翔偵察機漂流する飛龍発見、そのため飛龍確実に処分すべく第17駆逐隊谷風派遣される谷風アメリカ軍機動部隊艦載機襲撃を受けつつも生還した海戦後第十駆逐隊6月13日に呉に帰投した。 7月14日臨時編成第一航空艦隊解散して第三艦隊編成され南雲中将司令官となった第十戦隊から第七駆逐隊外れ第四駆逐隊および第十六駆逐隊編入される第十戦隊軽巡長良以下第四駆逐隊(嵐、野分萩風舞風)、第十駆逐隊夕雲巻雲風雲秋雲)、第十六駆逐隊雪風時津風天津風初風)、第十七駆逐隊谷風浦風浜風磯風)という戦力揃えた8月7日ガダルカナル島フロリダ諸島アメリカ軍上陸してガダルカナル島の戦い始まった8月16日第三艦隊柱島泊地出撃してトラック諸島に向かうが、アメリカ機動部隊出現した事によりソロモン諸島東方海域急行した8月24日第二次ソロモン海戦でも空母の直衛を務めた9月29日秋雲とともに第三水雷戦隊橋本信太郎中将海軍兵学校41期〕)の指揮下に入りショートランド進出してすぐにガダルカナル島への鼠輸送参加する10月3日6日輸送ではタサファロングに、10月9日にはカミンボにそれぞれ舞鶴第四特別陸戦隊第二師団丸山政男中将)の兵員軍需物資陸揚げした詳細は「南太平洋海戦」を参照 10月26日南太平洋海戦では前衛部隊配された。日米機動部隊激闘の末、アメリカ空母ホーネット爆弾5発と魚雷3本命中して大破し損害甚大復旧不能判断したアメリカ軍ホーネット曳航断念鹵獲避けるべくホーネット処分試み駆逐艦マスティン(英語版) (USS Mustin, DD-413) およびアンダーソン英語版) (USS Anderson, DD-411) に処分ゆだねた。マスティンとアンダーソン魚雷9本と400発に及ぶ5インチ砲の砲撃行ったが、ホーネットは沈まなかった。そうこうしている内に、前衛部隊迫ってきたので米駆逐艦2隻は避退ていった。 「事情許さば、拿捕曳航されたし」という宇垣纏少将/連合艦隊参謀長海軍兵学校40期)の命令受けて巻雲秋雲前衛部隊から分離した。日が暮れようとする海原前進すると、彼方から遠雷のような砲声聞いた。これは、先に駆逐艦2隻がホーネット砲弾魚雷撃ち込んでいた音だったと考えられた。やがて、前方水平線上が赤味帯びているのが見えた接近してみると炎上して漂流中のホーネットだった。ホーネットいたるところから火を噴き艦首からは曳航されていたことを物語ロープ数本垂れ下がっていた。「秋雲」が12.7センチ砲弾24発を水線下に命中させたものの微動だにせず、魚雷での処分切り替えられた。巻雲秋雲は各魚雷2本発射し、4本のうち3本命中巻雲艦長によれば最初の1本は艦首命中して傾斜復元し2本目反対舷に発射し3本目で沈没、「此ノ駆逐艦魚雷三本モ打チ込ンデヤツト沈メタノニハ、ナサケナキ限リナリシ」と回想している。一方、「秋雲」ではホーネット断末魔記録して軍令部提出すべく、絵の上手な信号員に炎上中のホーネットを描くよう命じた秋雲駆逐艦長相馬正平少佐スケッチ助けしてやろうと、ホーネット向けて何度もサーチライト照射したが、巻雲側は秋雲側の突然のサーチライト照射真意をつかめず、「如何セシヤ」の発光信号送った。やがてホーネット火災は艦全体広がったホーネット10月27日午前1時35分、サンタクルーズ諸島沖に沈んでいった。前述のように、日本側は連合艦隊司令部からの命令に従ってホーネット拿捕曳航行おうとしたが、最終的に断念している。また、秋雲信号員がスケッチしたホーネットの最期の姿も残されている。10月30日トラック帰投。この時、「秋雲」の推進器に異常が発生したため内地帰投となり、「秋雲」から魚雷弾薬譲り受けた。「秋雲」は南太平洋海戦損傷した損傷艦翔鶴瑞鳳筑摩熊野)等を護衛して内地帰投した。

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