アメリカ軍管理下のキューバの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 10:55 UTC 版)
「米西戦争」の記事における「アメリカ軍管理下のキューバの独立」の解説
スペインは太平洋艦隊・大西洋艦隊と継戦能力を失った。交戦状態は8月12日に停止され、形式上の平和条約は12月10日にパリで調印された1898年パリ条約で、1899年2月6日にアメリカ上院によって批准された。 同戦争に勝利したアメリカはフィリピン・グアム・プエルトリコを含む旧スペイン植民地のほとんど全てを獲得し、キューバを保護国として事実上支配下に置いた。以後アメリカの国力は飛躍的に拡大していき、南北アメリカ大陸と太平洋においてスペインの影響力が一掃され、代わりにアメリカが影響力を持つという、覇権の移譲とも取れる流れになっている。 戦後スペインは植民地喪失のために国力が低下し、新興国のアメリカにあっけなく敗北したこともあって、ヨーロッパでの国際的地位・発言力を同時に失った。ルネサンスから始まったポルトガル海上帝国・スペイン帝国の帝国主義が破綻し、産業革命に支えられた新たな帝国主義へ完全に移り変わった瞬間とも取れる。 開戦前、アメリカ連邦議会はキューバの独立を支持し、これを討論の後に承認した。アメリカ軍は1909年1月28日までキューバを占領した。アメリカはスペイン植民地のプエルトリコ(#プエルトリコ)・フィリピン(#フィリピン・#米比戦争)・グアム(#グアム島)を併合した。
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