アメリカ軍迫撃砲小隊の投降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 06:12 UTC 版)
「303高地の虐殺」の記事における「アメリカ軍迫撃砲小隊の投降」の解説
生存者の証言によれば、H中隊の迫撃砲小隊は、8月15日の夜明け前に303高地付近で敵軍が活動していることに気づいた。小隊長はG中隊に電話連絡をしたが、その際、60人の韓国軍部隊が迫撃砲小隊の支援に向かっていると知らされた。朝になり、迫撃砲小隊は、北朝鮮軍のT34戦車2輌と200人以上の兵士が丘の麓の道路を進んでいくのを目撃した。その後、間もなく、丘の斜面に朝鮮人の一団が現れた。斜面を登って来た朝鮮人たちに見張りの兵が声をかけると、機関銃による応射があった。ところが、迫撃砲小隊長は、朝鮮人たちを友軍だと思い込んでしまう。アメリカ兵たちが、やって来たのが敵軍であると認識したのは、北朝鮮兵たちが接近して軍帽の赤い星が見えるようになってからだった。このとき北朝鮮兵たちは、既にアメリカ兵たちのごく近くにまで達していた。北朝鮮兵たちは、双方のいずれもが発砲しないまま、アメリカ軍のタコツボの目の前まで到達した。迫撃砲小隊を率いていた中尉は、兵員数でも火力でも優勢な敵の出現に、戦わずに降伏することを命じた。北朝鮮軍は31人の迫撃砲小隊全員を直ちに捕虜にした。一説には、42人が捕虜になったとも言われている。 アメリカ兵たちを捕虜にしたのは、北朝鮮第105戦車師団206機械化歩兵連隊第2大隊第4中隊であった。北朝鮮軍は武器と貴重品を奪った上で、捕虜のアメリカ兵たちを丘の麓へ移動させた。北朝鮮軍は、果樹園で捕虜から衣服の一部と靴を奪い、後ろ手に縛り付けた。北朝鮮軍は、おとなしくしていれば、ソウルの捕虜収容所に送られることになるだろうと捕虜たちに告げた。
※この「アメリカ軍迫撃砲小隊の投降」の解説は、「303高地の虐殺」の解説の一部です。
「アメリカ軍迫撃砲小隊の投降」を含む「303高地の虐殺」の記事については、「303高地の虐殺」の概要を参照ください。
- アメリカ軍迫撃砲小隊の投降のページへのリンク