アメリカ軍襲撃隊の挙動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 02:07 UTC 版)
「ロングウッズの戦い」の記事における「アメリカ軍襲撃隊の挙動」の解説
ホームズは2月21日にアマーストバーグを出発し、エリー湖岸に沿って移動した。地面は柔らかく、ポイント・オ・ペレーでは6ポンド砲2門を放棄するしかなくなった。カナダ人民兵の幾らかと衝突して、カナダ兵が逃亡した後、ホームズはその民兵がポートタルボットの守備隊に警告を入れると判断し、デラウェアの基地に向かうことにした。3月2日、デラウェアから15マイル (24 km) 以内まで近づいていたが、寒さと飢え、さらに病気で部隊の勢力は180名から164名まで減っていた。イギリス軍は実際にアメリカ軍の存在を警告されており、カナダ人の脱落者からは、デラウェアから300名が出撃して、ホームズ隊から1時間の行軍距離に居ることを知らされた。ホームズはミシガン・レンジャーを後衛として残し、本体はトウェンティマイル・クリークまで5マイル (8 km) 後退した。ミシガン兵は、イギリス軍の先遣隊であるコールドウェルのレンジャーと小競り合いを行ったあと、後退して来た。 ホームズは部下の数人から更なる後退を進められたが、その陣地を守ることに決めた。クリークに架かる橋を見下ろす丘に陣地を占め、U字型の逆茂木で防御工作を行った(倒木や大枝が使われた)。 3月4日早朝、コールドウェルのレンジャーがアメリカ兵と短時間交戦し、続いて退却すると見せかけて、アメリカ軍を陣地から誘い出そうとした。実際にホームズは5マイル (8 km) も追跡したが、ミシガンの民兵竜騎兵がイギリス軍は待ち伏せしていると警告したので、急ぎ陣地まで戻った。
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