スペインの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)
「アメリカ合衆国の建築」の記事における「スペインの影響」の解説
スペインは1540年代にアメリカ南西部を探検し始めた。コンキスタドールであるフランシスコ・バスケス・デ・コロナドはプエブロ・インディアンの神話にある黄金の都市を探してこの乾燥した土地を横切った。プエブロ・インディアンは日干しレンガと露出した木製梁を組み合わせた家を建てた。その立法形状とそれを密度濃く配置した形はアメリカ人が模倣することになる一つの側面を与えた(プエブロ様式)。これら質素で飾り気のない構造を見たコンキスタドールの失望を推測できるが、その屋根の下では温度が一定で冷涼だった。スペイン人は最終的にこれらの集落を征服し、1609年にサンタフェをこの地域の管理用の首都にした。総督官邸は1610年から1614年の間に建てられ、日干しレンガの壁と錬鉄の塀を持つ、インディアン様式とスペイン様式の混合となった。サンタフェのサンミゲル礼拝堂は1610年からのものだが、日干しレンガの技術を用い、この宗教的な殿堂を荘厳さと厳格さのある胸を打つ外観に仕立てた。 17世紀と18世紀、スペイン人は現在のロサンジェルスからサンフランシスコまで一連の砦(プレシド)を設立した。1769年から1823年まで、南西部に伝道所のネットワークを造り上げた。伝道所は後のこの地域の建築に重大な影響を残した。これら開拓地の中で最も有名なものは、テキサス州サンアントニオのアラモ伝道所のそれである。ニューメキシコ州イスレタ・プエブロの伝道所は矩形の会衆席、外の控え壁、および対象形で飾りのない2つの塔を持つ日干しレンガの教会である。アリゾナ州の聖ザビエル・デル・バック伝道所はラテンアメリカの他所で流行ったチュリゲーラ様式(スペイン・バロック)の良い例である。建物正面は2つの量感のある塔で形作られ、玄関両横にはエスティパイト、すなわち飾りとしてしか機能しない精細に彫刻された柱がある。 スペインの建築様式は、1559年から1821年の間のフロリダ州でも間欠的に採用された。ここでは「コンク様式」がペンサコーラである程度成功し、例えば錬鉄のバルコニーを持つ装飾的家屋がある。同じような傾向がニューオーリンズのフランス区で現れている。ニューオーリンズでは1788年と1794年の大火で当初のフランス建築が破壊された。ニューオーリンズ市の現在の建物の多くは18世紀遅くに再建されたものである。 アメリカ合衆国で最も初期にヨーロッパ人が継続的に占有した所としては1565年に設立されたフロリダ州セントオーガスティンがある。1672年から1695年建設のサンマルコス砦が現存するものとしては最古の建造物である。ペンサコーラのスペイン砦と共に17世紀アメリカの希少な建築遺跡の一つとなっている。
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