スペインの探検と開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 07:01 UTC 版)
ビッグサーを最初に見たヨーロッパ人は1542年にフアン・カブリロが率いたスペイン人船員だった。カブリロは上陸することなく海岸を北上した。その後2世紀経ってからスペインはこの地域の植民地化を試みた。1769年、ガスパル・デ・ポルトラが率いた遠征隊がビッグサーの南側、サンカルポフォロ・キャニオン近くに足を踏み入れた最初のヨーロッパ人だった。その隊は切り立った崖に恐れをなしてこの地域を避け、内陸に進んだ。 ポルトラは1770年にモントレー湾に上陸し、カリフォルニアにおける伝道所の大半を設立することに貢献したフニペロ・セラ神父と共にモントレーの町を設立した。モントレーはスペインの植民地アルタ・カリフォルニアの首都になった。スペインはこの時期にビッグサーという名前をこの地につけた。それは南の大きな国という意味だったが、そこは首都モントレーの南にある広大で探検が行われておらず、通り抜けもできないような土地だったので、短く「大きな南」el sur grande,と呼ばれることが多かった。 スペインの植民地化によってインディアンの人口が激減した。その大半は18世紀にヨーロッパから伝わった疫病で死ぬか、伝道所での強制労働と栄養不良で死んだ。残ったものたちは19世紀にスペインとメキシコの牧場主達の生活と同化していった。
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