ガスパル・デ・ポルトラ
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ガスパル・デ・ポルトラ・ロビラ(スペイン語: Gaspar de Portolá Rovira, カタルーニャ語: Gaspar de Portolà i Rovira, 1716年 - 1786年)は、スペインの軍人・ヌエバ・エスパーニャの管理職で、アルタ・カリフォルニアの初代総督であった。スペインによるアメリカ大陸の植民地化のための陸路および海路の探検の司令官として、サンディエゴとモントレーに駐屯地を建設した。また、サンディエゴからサンフランシスコまで最初の陸路の探検隊を率いた。その途上、多くの土地に命名し、その多くは現在も使われている[1]。
- ^ factcards.califa.org, Gaspar de Portolá i Rovira
- ^ CHL No. 2 Portolá Journey's End - San Mateo, California Historical Landmarks
- 1 ガスパル・デ・ポルトラとは
- 2 ガスパル・デ・ポルトラの概要
- 3 晩年
- 4 関連文献
- 5 外部リンク
ガスパル・デ・ポルトラ
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「カリフォルニア州の歴史」の記事における「ガスパル・デ・ポルトラ」の解説
1768年5月、遠征将軍ホセ・デ・ガルベスはアルタ・カリフォルニアに向けて4方向、2つは海、2つは陸からの遠征を計画し、ガスパル・デ・ポルトラが指揮官を志願した。 デ・ポルトラの陸路遠征隊は1769年6月29日に現在のサンディエゴの地に到着し、そこでサンディエゴ砦を構築した。デ・ポルトラとその隊は、フアン・クレスピ神父と63人の革の上着を着た兵士達、100頭のロバで構成されており、モントレー湾まで進みたがったので、7月14日に北に向かった。彼等は8月2日に現在のロサンゼルスの地、8月3日にサンタモニカ、8月19日にサンタバーバラ、9月13日にサンシメオン、そして10月1日にサリナス川河口に到着した。彼等はモントレー湾を探していたが、そこに着いた時は認識できなかった。 10月31日、デ・ポルトラの探検者達はサンフランシスコ湾を見た最初のヨーロッパ人となった。皮肉なことにマニラのガレオン船はこのころまでにほぼ200年間もこの海岸を航行していたが、この湾には気付いていなかった。デ・ポルトラの遠征隊は1770年にサンディエゴに戻った。
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