アルタ・カリフォルニア探検
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「ガスパル・デ・ポルトラ」の記事における「アルタ・カリフォルニア探検」の解説
スペインは、バハ・カリフォルニア半島より北の太平洋岸に伝道所やその他の入植地を設立して、そこが他国の領土して宣言されるのを防ごうとしていた。イギリス人はすでに北アメリカ大陸東岸とその北の現在のカナダに植民地を設立していたが、太平洋岸にも探検者を送り込んできた。ロシアの毛皮猟師はシベリアからベーリング海峡を渡ってアリューシャン列島やさらに東部へやってきた。 1768年1月23日にカルロス王と副王の間で文書が交され、スペインが太平洋岸に沿って北へ支配を拡大し、早期の探検者であるフアン・ロドリゲス・カブリリョやセバスティアン・ビスカイノによって報告されていたサンディエゴ湾やモントレー湾に植民地や伝道所を設立することに決定された。ビスカイノは1602年にモントレーまでの海岸線の地図を描いていたが、その後166年間ほとんど何も行われてこなかった。1768年5月、スペインからの監察官であるホセ・デ・ガルベスは海陸双方からの探検隊を組織した。ポルトラが「両カリフォルニア総督」に任命され、全指揮権を与えられた。探検隊のフランシスコ会宣教師の指導者であるフニペロ・セラが精神的な問題に関する指揮を行うことになった。海と陸とに分かれた探検隊は、サンディエゴ湾で落ち合うことになっていた。 1769年1月10日に、第1の船であるサンカルロス号がラパスを出港した。第2のサンアントニオ号は2月15日にサンルーカス岬を発った。同時に、陸路探検隊を構成する集団がロレトから北へと移動を始めた。陸路の探検隊はセラが最初の伝道所を設立したベリカタに集合し、ポルトラの計画によって隊は二手に分かれた。主班は馬車の通れる道を建設し、原住民を慰撫することを目的とし、フェルナンド・リベラ・イ・モンカダに率いられて、3月24日にベリカタを出発した。フランシスコ会の記録者であるフアン・クレスピもリベラの班に同行した。ポルトラによって率いられるもう1つの班にはフニペロ・セラ(伝道所の長)も同行し、宣教師・植民者・革の上着を着た兵士たちから成り立っていた。第2班は5月15日にベリカタを出発した。フニペロ・セラは探検中に新しく2つの伝道所を設立した(1769年7月16日にサン・ディエゴ・デ・アルカラ、1770年6月3日にミッション・サン・カルロス・ボロメオ・デ・カルメロ)。 ビスカイノがサンディエゴ港の緯度を間違えていたため、船はサンディエゴを通り過ぎて北へ行き過ぎてしまい、引き返す必要があった。サンアントニオ号は4月11日に到着した。最初にラパスを出たサンカルロス号は強風と嵐に遭遇し、4月29日に到着した。荷物を載せた第3の船は行方不明になった。苦しい旅のために、海路を旅した人々の大部分は病気になり(主に壊血病)、多くが死亡した。バハ・カリフォルニアを出た219人のうち、生き残ったのは100人あまりに過ぎなかった。5月にリベラは現在のサンディエゴに到着し、海路の探検隊と合流した。彼らは現在の旧市街にキャンプを設営して第2班の到着を待った。ポルトラの陸路探検隊は6月29日に到着した。 モントレー湾へと急ぐため、ポルトラ、フアン・クレスピ、63人の革の上着の兵士、そして食糧を運ぶ100頭の騾馬は、1769年7月14日に北へと向かった。1日に2-4レグア(1レグアは約4キロメートル)の速度で徒歩で進み、8月2日に現在のロサンゼルスに到着した。翌日、後にサンタモニカのウィルシャー大通りになるインディアンの通り道を進み、現在のサンタクラリタのソーガス地区にあたる場所に立ち寄った後に8月19日に今のサンタバーバラに、9月13日に今のサンシメオンに到着した。10月1日にポルトラの隊はサンタルシア山脈を抜けてサリナス川河口に到達した。 サンディエゴからは約650km、ベリカタからは約1,600kmの距離を徒歩で進んで、目的地のモントレー湾に到着した。ビスカイノは湾の形を「O」の字のように丸いとしていたが、隊の一部のメンバーは湾岸に沿って2回も行進してみたにもかかわらず、湾が半円形であることを認識できなかった。そこを目的地と認識するのに失敗した一行は湾に沿ってさらに北上し、湾の北端に到達した。10月18日にクレスピはそこにある川をサンタクルスと命名した。さらに北上して、10月31日にはサンフランシスコ湾に到達し、湾の南方の、現在はゴールデンゲートの名で知られる場所に多くの名をつけた。 隊はそこからサンディエゴへと戻ったが、帰路でもモントレーの港を見つけることに失敗した。主に騾馬の肉を食糧としながら、1770年1月24日に帰還した。
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