伝道とプエブロの時代
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「サンタクルーズ (カリフォルニア州)」の記事における「伝道とプエブロの時代」の解説
1769年、スペイン人探検家ガスパル・デ・ポルトラがモントレー湾に行こうとしている時に偶然サンタクルーズの近くに到着した。ポルトラは聖ローレンスに因んでそこの川をサンロレンソ川と名づけ、川の上の起伏のある丘陵は「サンタクルス」(聖なる十字架)と呼んだ。1791年、フェルミン・ラスエン神父がシャトゥ・ムのアワスワや周辺のオローニ族集落の改宗のために、「ラ・ミッション・デ・ラ・エハルタシオン・デ・ラ・サンタクルス(サンタクルーズ伝道所)の設立を宣言した。サンタクルーズ伝道所はカリフォルニアに設立された12番目の伝道所だった。 いっぽう、現在の市の東部は世俗的な集落として異なる歴史をたどった。1789年のヌートカ事件(en、今のカナダのバンクーバー島でイギリス船をスペインが拿捕した事件)の後、スペインはイギリスの脅威に備える必要を認識した。1796年4月、ヌエバ・エスパーニャ副王ブランシフォルテ侯爵ミゲル・デ・ラ・グルア・タラマンカ・イ・ブランシフォルテの命令により、アルタ・カリフォルニアにおけるスペインの領有権を保全するため、現在のサンタクルーズ市東部に、副王に因んでビジャ・デ・ブランシフォルテと呼ぶ集落を造った。ブランシフォルテは、ロサンゼルスおよびサンノゼと並び、3つしかないカリフォルニアの世俗的な町のひとつだった。後、1905年にブランシフォルテは川向こうのサンタクルーズ市に併合された。 1820年代、独立したばかりのメキシコがこの地域の支配を始めた。1833年から翌年にかけて、伝道所は世俗化された。 その後の20年間、アメリカ合衆国からの移民が多数到着するようになった。1848年、米墨戦争の終戦に続くグアダルーペ・イダルゴ条約により、メキシコはアルタ・カリフォルニアをアメリカ合衆国に割譲した。1850年、この割譲地の中からカリフォルニアは最初の州になった。
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