伝道の旅へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:36 UTC 版)
釈迦はまず、修行時代のかつての師匠、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えを説こうとしたが、二人はすでに死去していたことを知った。そこで釈迦は、かつての修行仲間(五比丘)に教えを説こうとヴァーラーナスィーに向かった。 ヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに対して無師独覚について話したが、軽く受け流されている。 yathā kho tvam āvuso pat ijānāsi arahʼasi anantajinoʼti:…mādisā ve jinā honti ye pattā āsavakkhayam,jitā me pāpakā dhammā tasmāhaṁ Upaka jino ʼti.evam vutte Upako ājīvako hupeyya āvuso ʼti vatvā sīsaṁ okampetvā ummaggam gahetvā pakkāmi. (南伝大蔵経) 〔優波迦言へり〕、「汝の自稱するが如くば汝は無邊の勝者たるに適はん」。〔世尊は偈を以て説いて言へり〕、 若し諸漏の滅盡を得ば我に同じく勝者なり 諸の惡法に勝てるが故に我は勝者なり優波迦よ かくの如く説きたまへる時、邪命外道優波迦は「或は然らん」と言ひ、頭を振りて、別路をとりて去れり。 (参考現代語) 〔(釈迦が無師独覚について語ったのをうけて)ウパカは言った〕「あなたが言うとおりであれば、あなたは最上の勝者に値します。」〔釈迦は偈を唱えて答えた〕「煩悩を消滅させた者は、私と同様に勝者である。私は諸々の悪い煩悩に打ち克ったがゆえに、私は勝者なのだ、ウパカよ。」(釈迦が)このようにお説きになったのを聞いたウパカは、「友よ、そうかもしれませんね」と言って、頭を振ってから、別の道へと去っていった。 — 大犍度 これは仏法を説いたことにはなっていない(なお、『パラマッタ・ジョーティカー』や『テーリガーター・アッタカター』によれば、ウパカは後に、釈迦に帰依して出家したとされる)。
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