スペインの植民地化と統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 14:58 UTC 版)
「カリフォルニア州の歴史」の記事における「スペインの植民地化と統治」の解説
詳細は「アルタ・カリフォルニア」を参照 「ヌエバ・エスパーニャ」も参照 「カリフォルニア・ミッション」も参照 1697年、イエズス会宣教師団のフアン・マリア・デ・サルバティエラがバハ・カリフォルニア・スルに最初の恒久的伝道所ミシオン・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレト・コンチョを設立した。カリフォルニアの土地は当時ヌエバ・エスパーニャの一部であり、今日のように分割されてはいなかった。半島におけるイエズス会の支配は次第に拡がり、最初はロレト周辺の地域だったものが、南のケープ地域、最後にはバハ・カリフォルニア・スルの北縁を越えてさらに北へ拡がった。1765年から1823年にかけてカリフォルニアにも21の伝道所が設立された。 18世紀最後の四半世紀、アルタ・カリフォルニアに初めてのスペイン開拓地が設立された。北太平洋の海岸に住む毛皮動物についてロシア、また恐らくはイギリスが抱いた興味に反応する形で、スペインはカリフォルニアの南部と中部の海岸沿いに一連のカトリック伝道所を拡張し、軍隊を伴い、牧場を造った。これらの伝道所はスペイン帝国によるカリフォルニアの領有権主張を表すことが意図された。 19世紀の最初の四半世紀、スペイン人宣教師団、牧場主および軍隊によるカリフォルニアの南部と中部の海岸の植民地化がゆっくりと続いた。1820年までにスペインの影響力はロレトから今日のサンディエゴを経由してサンフランシスコ・ベイエリアのすぐ北まで繋がった伝道所で表され、内陸へは伝道所からおよそ25ないし50マイル(40 kmないし80 km)の広がりを見せた。この地帯の外では恐らく20万人から25万人の先住民が伝統的な生活を続けていた。1819年に調印されたアダムズ=オニス条約でスペインの領有権主張を北緯42度線までとすることとなり、事実上今日のカリフォルニア州とオレゴン州の州境ができた。
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