スペインの征服と植民地時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:50 UTC 版)
「セブ島」の記事における「スペインの征服と植民地時代」の解説
マゼラン艦隊の生存者は、スペイン帰国後、東方にある楽園の価値を報告した。ほどなく、後に続く探検者が航海に送りだされたが、全て失敗に終わった。 マゼランのセブ島到着から44年後の1565年、征服者(コンキスタドール)ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、500人の武装した兵士と聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士を連れてマリアナ諸島およびビサヤ諸島の各島を経てセブ島に到着、スペイン王の王冠のもと島の支配を進めると宣言した。レガスピたちはラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の砦を砲撃しスグボの町を破壊した。彼らは後に町を再建し、名を改めヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス(Villa del Santisimo Nombre de Jesús、イエスの最も聖なる御名の村)とし、教会や大学を建設した。1569年、この町はスペイン議会 (Spanish Cortés) によりフィリピンに成立した最初の入植地となった。レガスピの部下たちは更に兵士を率い、マニラを襲ってこれを征服した。 1571年8月14日、セブ(ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス)はマニラの司教区から離れ、独立した司教区となった。レガスピが同年、マニラに新たに確立した入植地へ本拠を移した後も、彼はセブを見放さず守備隊と知事を雇って町を管理させ、兵士の半分はセブに残した。以後、セブはスペインの植民都市としての繁栄が続いた。 3世紀の後、1898年6月12日、スペインの支配は倒され独立が宣言されたが、続くアメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続いた。1901年、セブは町 (municipality) となり1937年2月24日、市 (chartered city) となった。
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