スペインの港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:59 UTC 版)
「カリブ海の海賊 (歴史)」の記事における「スペインの港」の解説
17世紀初期、カルタヘナ、ハバナ、サンティアーゴ・デ・クーバ、サンフアン、パナマシティ、マラカイボ、サントドミンゴのスペイン植民地がスペイン領西インド諸島の中でも重要な開拓地だった。それぞれに人口が多く、経済は自立し、スペイン軍隊によって守られていた。これらではスペインの重商主義法を厳格に強制したので、概して他のヨーロッパ諸国と取引することを好まなかった。これらの都市ではヨーロッパで製造された商品が植民地人の間で高価に売れ、一方タバコ、チョコレートなど新世界の原材料が船でヨーロッパに運ばれた。 1600年までにパナマ地峡のカリブ海港はポルトベロからノンブレ・デ・ディオスに代わり、スペインのシルバー・トレインと毎年の宝物船隊を受け入れていた(16世紀後半にイングランドのフランシス・ドレークがこの港を攻撃していた)。ヌエバ・エスパーニャでは、ベラクルスが唯一の大西洋貿易に開かれた港であり、カリブ海に開かれた窓として広大な内陸の商品を受け入れていた。17世紀までにスパニッシュ・メインと中央アメリカの町の大半は自立するようになっていた。スパニッシュ・メインの小さな町はタバコを栽培し、スペインの重商主義法を逃れる外国の密貿易者も受け入れた。イスパニョーラ島の人口が少ない内陸は、特にタバコの密貿易者がその交易のために通って受け入れられたもう一つの地域だった。 スペインの支配したトリニダード島は既に17世紀の初めに、地域であらゆる国の船舶や海員に広く開かれた港となっており、特にタバコやヨーロッパ製品を扱う密貿易者に好まれた。カリブ海の密貿易者はそのタバコや砂糖をそこそこの価格で売り、大西洋貿易の業者からヨーロッパ製品を大量に購入して、母国のものに触れる機会の少ない西インド諸島やスパニッシュ・メインの植民地人に配った。トリニダード島のスペイン総督は、港の防御が弱く、お粗末なくらい少ないスペイン軍によって守られているだけだったので、イングランド、フランス、オランダの密貿易者から差し出される魅力的な賄賂に頼るしかなく、その支配下の人民によって追われたり、より柔軟な監督者に置き換えられたりするリスクに対応していた。
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