条約締結の経緯と条約の内容
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「マドリード条約 (1670年)」の記事における「条約締結の経緯と条約の内容」の解説
交渉は1669年秋よりスペイン代表の第3代ペニャランダ伯爵ガスパール・デ・ブラカモンテ(英語版)とイングランド代表のスペイン駐在特命公使ウィリアム・ゴドルフィン(英語版)の間で行われた。 条約の原文はラテン語で英語の題名はA treaty for the composing of differences, restraining of depredations, and establishing of peace in America, between the crowns of Great Britain and Spain, concluded at Madrid the 8/18 day of July, in the year of our Lord 1670.(「紛争の解消、略奪行為の自粛、およびアメリカにおける平和の確立のために、グレートブリテンとスペイン両王の間、マドリードにて1670年7月8/18日に締結された条約」)である。 スペインはイングランドが西半球で定住した領土を維持することを確認したが、条約ではイングランド人が定住した地域を定義しなかった。条約が締結した後、イングランドはジャマイカとケイマン諸島を正式に領有した。 条約により、スペインは全ての復仇免許状を無効にし、イングランドとスペインの港では英西2国の遭難船への救援と修理の許可を与えるとした。イングランドはカリブ海における海賊行為を取り締まり、その代償としてスペインはイングランド船の自由航行(英語版)を許可した。2国とも相手国のカリブ海領土における貿易を自粛し、自国領でのみ貿易を行うとした。 その後、条約は9月28日に批准された。
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