条約締結までの外交とは? わかりやすく解説

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条約締結までの外交

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 18:08 UTC 版)

ANZUS」の記事における「条約締結までの外交」の解説

1949年3月北大西洋条約機構 (NATO)を発足させる北大西洋条約結ばれると、アジア・オセアニア諸国一部にはNATO対応する軍事同盟太平洋側にも作ろうとする考え生まれた。その一つ中華民国台湾)・大韓民国など直接共産主義勢力接す国家加盟させる構想であったが、アメリカによって拒否された。もう一つイギリス連邦諸国アメリカ合衆国同盟させる構想で、オーストラリア推進した同国でこの構想唱えたパーシー・スペンダー外相は、第二次世界大戦日本軍イギリス軍東南アジアから駆逐しオーストラリア攻撃した経験から、イギリス代わりにアメリカ合衆国を頼る必要がある考えていた。 オーストラリア提案に、イギリスインドカナダといった英連邦諸国こぞって反対した。イギリスマラヤ連邦香港など植民地抱えていたが、アメリカ植民地支配嫌悪感持っており、アメリカが加わる軍事同盟適用範囲イギリス植民地に及ぶ可能性はなかった。提案され同盟は、イギリスに利がないだけでなく、オーストラリア・ニュージーランド軍事力英連邦から引き抜くものだと考えられた。また、もし東南アジア東アジア反共国を広く含めた同盟にすると、その分だけ戦争巻き込まれる可能性が高まるし、狭くすると適用除外された国・地域の不安が高まり除外地域共産主義者勢い付かせるという懸念指摘された。当初アメリカは、範囲画定副作用嫌って提案消極的だったが、1950年勃発した朝鮮戦争オーストラリア素早く陸海軍派遣すると、オーストラリアとの同盟価値見いだすようになった。そこでオーストラリアは、加盟国を3か国に限ることにし、適用範囲その周辺限定することで、範囲問題回避できるとした。ヨーロッパ移民でできた国に範囲を限るなら、アジア諸国自国だけ排除されたと感じことはないだろうし、戦争巻き込まれる可能性減じる考えられた。 この時期英米両国は、日本との講和条約控えて対日参戦国の同意取り付けようとしていた。オーストラリア・ニュージーランド両国には何らかの譲歩必要だ考えており、それが交渉期限区切る力として作用した1951年2月のアメリカ・オーストラリア・ニュージーランド3国の外相会談アメリカジョン・フォスター・ダレスオーストラリアのパーシー・スペンダー、ニュージーランドのフレデリック・ドッジ)で、オーストラリア考えにもとづく条約案が起草された。アメリカ意向条約軍事的性格弱める修正ほどこした条約案は、同年7月対日講和条約公表直前タイミング公表された。署名9月1日サンフランシスコ講和会議開始3日であった

※この「条約締結までの外交」の解説は、「ANZUS」の解説の一部です。
「条約締結までの外交」を含む「ANZUS」の記事については、「ANZUS」の概要を参照ください。

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