イギリス連邦諸国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:38 UTC 版)
「サム・ブラウン・ベルト」の記事における「イギリス連邦諸国」の解説
第二次ボーア戦争があった1900年頃に英国陸軍全軍で将校用装備として採用されたのを皮切りに、英連邦各国もこれに続いた。20世紀に入る頃になると従来のサム・ブラウン・ベルトに加えて、新しい形態のベルトもに人気が集まった。これは2つの垂直なストラップでベルトを支えるもので、騎馬用の鐙から着想を得たのだとされているが、サム・ブラウン・ベルトに由来すると思われる幅の広いベルトで構成される。 第二次世界大戦後、サム・ブラウン・ベルトは徐々に使用されなくなっていった。例えば、カナダ軍では1968年にサム・ブラウン・ベルトを段階的に廃止した。しかし、英国陸軍の多くの連隊及び海兵隊では、士官及び准士官(WO1区分及びWO2区分)が儀礼時のNo.2ドレス並びにNo.4ドレス及び一部のNo.1ドレスでサム・ブラウン・ベルトを装着している。オーストラリアでは、全ての士官が儀礼用制服にサム・ブラウン・ベルトを着用する権利が与えられ、またWO1区分の准士官も同様の権利が認められている。オーストラリアでは軍団ごとにバリエーションがあり、例えば王立オーストラリア装甲軍団やオーストラリア陸軍航空隊の将校は黒いサム・ブラウン・ベルトを装着する。 1905年から1939年(又は1941年)まで第16クイーンズ・ランサーズのカーネル・イン・チーフを務めたスペイン王アルフォンソ13世は、閲兵式の際サム・ブラウン・ベルトの斜革を前後逆につけたまま挑んだ。彼の到着前、誰かがこの間違いに気づき司令官に伝えたところ、司令官は全ての将校に斜革を逆につけるようにと命じた。この事件以来同連隊(1922年以降「第16/5クイーンズ・ロイヤル・ランサーズ」)では斜革を逆につけることが伝統となった。そして、この慣習は現在のクイーンズ・ロイヤル・ランサーズまで受け継がれている。 第二次世界大戦まで ボーア戦争中の英国陸軍将官。 第一次世界大戦中のライフル旅団将校。 1920年代のインドに派遣されたドーセット連隊第2大隊の将校。 第二次世界大戦期の英国陸軍将校(アーサー・パーシバル将軍) 第二次世界大戦期のオーストラリア陸軍司令部要員 現代 No.1ドレスで行進する英海兵隊。先頭の将校のみサム・ブラウン・ベルトを着用している。 No.2 ドレスで行進するプリンセス・オブ・ウェールズ・ロイヤル連隊将兵。中央の将校のみサム・ブラウン・ベルトを着用している。 ロンドンを行進する英陸軍将兵。所属連隊は全員異なっている。手前の2人の将校のみサム・ブラウン・ベルトを着用している。
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王立カナダ騎馬警察儀礼服で着用される他、オーストラリアではビクトリア州警察騎馬隊が白いサム・ブラウン・ベルトを着用し、ニューサウスウェールズ州警察(NSW)自転車隊、儀仗隊、NSW警察学校儀仗隊の警部及び巡査部長が黒いバスケット織りのサム・ブラウン・ベルトを着用している。オーストラリア連邦警察儀仗騎馬隊の幹部も同様のものを着用する。 カナダ・ブリティッシュコロンビア州の警察官 王立カナダ騎馬警察の隊員 アイルランドの警察(1954年)
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