イギリス連邦の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:00 UTC 版)
「ジョージ6世 (イギリス王)」の記事における「イギリス連邦の統治」の解説
第二次世界大戦において戦勝国となったものの、本国がドイツ軍の空襲を受けるなど戦禍にさらされ、アジアでも多くの植民地を日本軍に蹂躙され国力を削がれた大英帝国の崩壊は加速していった。1931年に発布されたウェストミンスター憲章で、すでに各イギリス自治領がそれぞれ主権を承認されていた。それまでの大英帝国から、イギリス連邦として知られる各独立国の自由意志による同盟への移行は、第二次世界大戦後、とくに労働党党首クレメント・アトリーが首相を務めた時代(1945年から1951年:アトリー内閣(英語版))に勢いを増していった。 宗主国として世界各地の植民地に君臨する国力も威厳も失ったイギリスは急速に求心力を失い、1947年にはイギリス領インド帝国が、インド連邦とパキスタンの2国に分離独立した。これにより、ジョージ6世は「インド皇帝」の称号を失い、「インド王」、「パキスタン王」となっている。1950年にはインドがイギリス連邦に留まったまま共和制へと移行したことから、ジョージ6世は「インド王」の称号も失ったが、「パキスタン王」の称号は生涯保持し続け、インドは「英連邦君主 (en:Head of the Commonwealth)」という新たな称号を承認した。その他、1948年1月にビルマ、1948年5月にパレスチナ、1949年にアイルランドが、イギリス連邦から脱退している。
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