大英帝国の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「大英帝国の崩壊」の解説
この頃のイギリスにとって、共産主義と並ぶもう一つの脅威は植民地民族運動の激化であった。労働党政権時代にインド、パキスタン、スリランカ、ヨルダン、イスラエルなどが続々と独立し、長きにわたる大英帝国のアジア中近東支配に終止符が打たれた。同時期フランスも植民地民族運動に悩まされて植民地帝国崩壊の瀬戸際に立たされていた。しかしフランスが強引に植民地を維持しようとしてインドシナやアルジェリアで泥沼の内戦に陥っていったのに比べると、イギリス労働党政権は「引き際を心得ていた」と評価されている。 だが帝国主義者チャーチルにはもちろんそんなことは認められなかった。「大英帝国はアメリカの借款と同様に急速に減少している。その急速さには慄然とさせられる。『逃亡』、これが唯一ふさわしい言葉だ」「労働党は我らの先人たちが200年の時を費やして行ってきたことの全てを、インド帝国とともに投げ捨てた。」と批判した。
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