大英帝国とイギリス連邦
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1858年(この年、英王室は東インド会社が1774年10月20日から持っていた総督任命権を継承し、総督は王室の管理下に入ることになった)から1947年まで、「ハイ・ラジャ」(インド帝国最高主権者の意)である英国インド植民地総督も、公式名称ではなかったものの「インド副王」として知られている。(最後の副王はそれ以前と異なり王室出身で、初代マウントバッテン・オブ・ビルマ伯爵ルイス・フランシス・マウントバッテン〈任期:1947年2月21日 - 8月15日〉であった) また、アイルランド卿(アイルランド王)も副王の名称を用いることがあった。 副王の称号およびそこから派生した「副王の」を意味する形容詞 vice-regal は、大英帝国及び現在のイギリス連邦の総督(カナダ総督・オーストラリア総督など)、もしくはそれ相応の権限を持つもの(カナダの各州の副総督 provincial Lieutenant-governor、オーストラリアの各州の総督 state governors など)に対して、王室の代表であるという意味を含んで使用される(英国領インドを大英帝国やイギリス連邦に含むことは不正確であり、手続き上は誤っている)。
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大英帝国とイギリス連邦
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イギリスも植民地に総督をおいており、例えばインドの総督は1773年から1950年まで存在した。植民地独立後もイギリス連邦(Commonwealth)に属する国々の中には、現在でも元首である国王の名代として総督が任命されている国がある。例えばカナダやオーストラリア、ニュージーランドには現在でも職位としての総督が存在する。 「総督」と訳される役職にはGovernorとGovernor-Generalがあるが、前者は「知事」とも訳される。いずれにせよ、その地域において国王の代官としての役割を果たしているが、イギリス領である地域ではイギリス政府によってイギリス本国から総督が派遣されており、場合によってはかなりの統治権限を有する(返還前の香港が一例。現在ではジブラルタル、セントヘレナ、イギリス領ヴァージン諸島、フォークランド諸島などがこれに該当する)。それに対しカナダやオーストラリア、ニュージーランドなど独立した英連邦王国の場合、総督はあくまでもカナダやオーストラリア、ニュージーランドには通常は滞在していない各国の国王(イギリス国王が兼任)の代理として、儀礼的な職務を行う存在であり、当該国の事実上の国家元首と言える(オリンピックの開会宣言は通常その国の元首が行うが、カルガリーオリンピックやシドニーオリンピック、バンクーバーオリンピックでは、当時のカナダ総督やオーストラリア総督が開会宣言を行った。なお、1976年モントリオールオリンピックではエリザベス2世自身が、カナダ女王として開会宣言を行っている)。そのため、現在ではそれらの国における総督はイギリス政府とは無関係であり(各国の王室=イギリス王室とは関係があるが)、実際には各国の首相の推薦により、各国の市民権を持つ人が総督に選ばれるのが通例である(象徴大統領制に近い)。
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