大英博物館図書室
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大英博物館図書室(British Museum Reading Room)は、大英博物館の敷地の中央部、中庭(グレート・コート)内にある図書閲覧室。大英博物館図書館、単に円形閲覧室とも呼ばれる。1857年に建設されてから1973年までは大英博物館図書館の閲覧室として、それ以降は1997年まで大英図書館の中央閲覧室として使われていた。
概要
図書室は直径43mのドームをもつ円形の建物で、閲覧室を取り巻く周囲の外壁に沿って開架図書の書架が設けられている。かつては周囲に大英図書館の閉架式書庫が併設されていたが、現在は図書館機能の中心がセント・パンクラスの大英図書館新館に移行されたため取り払われて大英博物館の屋根付き中庭となっており、閲覧室のドーム棟だけが残されている。
大英図書館図書室は、大英博物館図書館の主任司書(館長)であったアントニオ・パニッツィのアイデアに基づいて建設された。この閲覧室が大英博物館図書館・大英図書館であった時代には、入館して利用できる者は許可を得た研究者だけに公開される原則であったが、実際にはかなり広い範囲の研究目的の利用者に開放されており、チャールズ・ディケンズ、オスカー・ワイルド、ラドヤード・キプリングなどの著名な作家に利用された。外国人でこの図書室を愛用していた者も多く、イギリス滞在中のカール・マルクス、マハトマ・ガンディー、ウラジーミル・レーニンが通ったことは有名である。特にマルクスは、後半生の30年以上のロンドン滞在中ほとんど毎日のようにこの図書館に通い、『資本論』をはじめとする著作をここで書き上げ、レイ・ランケスターといった博物館関係者とも親しくした。
日本人では、江戸幕府の遣欧使節団に随行した旗本の福澤諭吉が訪れて『西洋事情』で日本国に近代的図書館の制度を紹介した[1]。明治以降は、ロンドン滞在時代の南方熊楠が通っていたことでよく知られているが、政府公式の留学生であった夏目漱石は意外にもあまり利用していなかった[2]。また、国立の総合博物館に図書館が併設されるという発想は明治期の日本の文部省に大きな影響を与え、1872年に文部省博物局に設置された書籍館のモデルとなった。この書籍館が現在の東京国立博物館資料館や国立国会図書館の源流である。
1997年に大英図書館の中心館としての機能がセント・パンクラスの新館に移された後、グレート・コートの改修を経て2000年に図書閲覧室(円形閲覧室)として一般に開放公開された。現在では大英博物館と同様に、全ての人が無料で入館することが可能である。

脚注
- 注釈
- ^ グレート・コートの正式名称は"Queen Elizabeth II Great Court"(クイーン・エリザベス2世 グレート・コート)であり、閲覧室の壁面上部には一周を囲むように“AD 2000 THIS GREAT COURT CELEBRATING THE NEW MILLENNIUM IS DEDICATED TO HER MAJESTY QUEEN ELIZABETH II”(西暦2000年、新千年紀を祝うこのグレート・コートは、エリザベス2世女王陛下に捧げられた)という碑文が刻まれている。
- 出典
- ^ 佐々木隆、木下直之、鈴木淳、宮地正人『ビジュアル・ワイド明治時代館』小学館、2005年12月、pp. 264 f頁。
- ^ 稲垣瑞穂『夏目漱石と倫敦留学 新訂版』(旧版「漱石とイギリスの旅」)吾妻書房、1990年11月30日初版発行。 著者では、夏目漱石の日記の中に大英博物館が2回しか出てきてないことや、利用者登録簿に名前が載っていなかったことなどが述べられている。 また、夏目漱石による作品『自転車日記』の中でも、『「……御調べになる時はブリチッシュ・ミュジーアムへ御出かけになりますか」「あすこへはあまり参りません、本へやたらにノートを書きつけたり棒を引いたりする癖があるものですから」』という記述が残されている。
大英博物館図書館
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詳細は「大英博物館図書室」を参照 大英図書館所蔵の図書の大部分は、ハンス・スローンの蔵書(後のスローン文庫)が遺贈されて1753年に創設されたロンドンの大英博物館に併設されていた、大英博物館図書館からのものである。これに加えて、後にコットン文庫(英語版)として知られるようになるロバート・コットン(英語版)の蔵書、およびロバート・ハーリーとエドワード・ハーリーによるハーリー文庫(英語版)も、共にそれぞれ図書館の基礎として利用された。その後、チャールズ・タウンリー(英語版)のコレクションと国王ジョージ2世の17,000冊の蔵書が、1757年に図書館に寄贈された。1823年、国王ジョージ3世の私設文庫であったキングズ・ライブラリー(英語版)(王室文庫)の65,000冊の書籍が図書館に統合された。1846年、トーマス・グレンヴィル(英語版)の蔵書の写真が加わった。新しく取得した図書のための書庫スペースが不足したため、大英博物館は、モンタギュー・ハウスから、1823年から1826年にモンタギュー・ハウスの庭に建てられた建物へと移転した。なお、この建物は、今もなお大英博物館の本館として使用されている。1857年に開館したドーム型の図書閲覧室は、世界で最も有名な図書館建築の一つであった。 初めて図書館の蔵書の目録を作成したアントニオ・パニッツィが大英博物館の館長を務めた1856年から1866年の間に、大英博物館図書館の蔵書数は100万冊に達した。大英博物館図書館は、1950年から英国全国書誌(英語版)の作成準備の責任を負った。大英博物館図書館の利用者の中には、チャールズ・ディケンズ、ウラジーミル・レーニン、カール・マルクス、ジョージ・バーナード・ショー、ヴァージニア・ウルフ、南方熊楠などの著名人もいた。例えば、カール・マルクスは毎日図書館に通い詰め、著書『資本論』の一部を大英博物館の資料を基に図書閲覧室で執筆した。ウラジーミル・レーニンは、Jacob Richterという偽名を使って、1902年から1911年の間に数回、大英博物館図書館を訪れた。レーニンは1907年に大英博物館図書館について次のように記している: 「一言言わせていただくと、大英博物館ほどの図書館は他にはありません。他のどの図書館よりも蔵書の差が少ないのです。」 大英博物館のスライドする書架 1823年から大英博物館図書館の蔵書となった、国王ジョージ3世の私設文庫 大英図書館に属する大英博物館図書館の図書閲覧室のパノラマ写真
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