福澤諭吉とは? わかりやすく解説

ふくざわ‐ゆきち〔フクざは‐〕【福沢諭吉】


福沢諭吉

作者安岡章太郎

収載図書時代小説大全集 5 人物日本史 明治大正
出版社新潮社
刊行年月1991.9
シリーズ名新潮文庫


福澤諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 05:29 UTC 版)

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、旧字体福󠄁澤 諭󠄀吉天保5年12月12日1835年1月10日〉- 明治34年〈1901年2月3日〉)は、幕末から明治期の日本啓蒙思想家教育家[1]慶應義塾の創設者。(はん)。子圍(しい)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁[2]雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)[3]


注釈

  1. ^ 学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書など。一方、慶應義塾大学をはじめとする学校法人慶應義塾の公式ホームページでは「福澤諭吉」と表記されている。例えば、慶應義塾についてを参照。学術書でも「福澤諭吉」の表記を用いるものも近年[いつ?]、出現している[要出典]
  2. ^ 他にも諸説ある[1]平山洋・信州福沢11カ所めぐり参照
  3. ^ 百助が所持していた伊藤東涯の『易経集注』という書は福澤家に残され、現在は慶應義塾大学に寄託されている。
  4. ^
    製薬の事についても奇談がある。るとき硫酸りゆうさんを造ろうと云うので、様々大骨折おおぼねおつて不完全ながら色の黒い硫酸が出来たから、これを精製して透明にしなければならぬと云うので、その日はず茶椀に入れて棚の上に上げておいた処が、鶴田仙庵が自分で之を忘れて、何かのはずみにその茶椀を棚から落して硫酸を頭からかぶり、身体からだまでの怪我けがはなかったが、丁度ちようど旧暦四月のころで一枚のあわせをズダ/\にした事がある。 — 福澤諭吉
  5. ^ それまで、中津藩邸に近い木挽町にあった佐久間象山の塾には多くの中津藩士が通っており、象山は中津藩のために西洋式大砲二門を鋳造し上総国姉ヶ崎で試射したりしている。象山に学んだ岡見彦三清熙は江戸藩邸内に蘭学塾を設けていた
  6. ^

    併(しか)しこの航海に就(つい)ては大(おおい)に日本の為(た)めに誇ることがある、と云(い)うのは抑(そ)も日本の人が始めて蒸気船なるものを見たのは嘉永六年、航海を学び始めたのは安政二年の事で、安政二年に長崎に於(おい)て和蘭(オランダ)人から伝習したのが抑(そもそ)も事の始まりで、その業(ぎよう)成(なつ)て外国に船を乗出(のりだ)そうと云うことを決したのは安政六年の冬、即(すなわ)ち目に蒸気船を見てから足掛(あしか)け七年目、航海術の伝習を始めてから五年目にして、夫(そ)れで万延元年の正月には出帆しようと云うその時、少しも他人の手を藉(か)らずに出掛けて行こうと決断したその勇気と云いその伎倆(ぎりよう)と云い、是(こ)れだけは日本国の名誉として、世界に誇るに足るべき事実だろうと思う[10][11]

  7. ^ 福翁自伝』に航海中の海舟の様子を揶揄するような記述が見られる。富田正文校訂 『新訂 福翁自伝』、岩波書店岩波文庫〉、1978年、ISBN 4-00-331022-5 の「初めてアメリカに渡る」の章にある「米国人の歓迎祝砲」(112頁)を参照。福翁自傳 - 200 ページを参照。

    勝麟太郎(かつりんたろう)と云う人は艦長木村の次に居て指揮官であるが、至極(しごく)船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかった

  8. ^ 諭吉は『福沢全集緒言』において以下のように述べている:
    たと えば英語えいご のスチームを従来じゅうらい 蒸氣じょうきやく するのれい なりしかども、何か一文字にちゞ めることはかな うまじきやと思付おもいつ き、 れと目的はなけれども、蔵書ぞうしょ康熙字典こうきじてん持出もちだ してたゞ 無暗むやみ火扁ひへん 水扁みずへん などの部を捜索そうさく する中に、 う字を見て、その ちゅう に水の なりとあり、 れは面白しとひと首肯しゅこう して始めて の字をもち いたり。ただ西洋事情せいようじじょう の口絵に蒸滊済人じょうきさいじん 云々うんぬんしる したるは、対句ついくじょう の一字をくわ えたることなり。今日こんにち りてはなか滊車きしゃ と云い滊船きせん 問屋どいや と云い、誠に普通ふつう の言葉なれども、その もとたず ぬれば三十二年前、余が盲捜めくらさが しにさが てたるものを即席そくせき頓智とんちまか せてまん版本はんぽんのぼ せたるこそ の字の発端ほったん なれ。又当時とうじコピライト意義いぎふく みたる文字もなし。官許かんきょ えば や似寄りたれども、その じつ政府せいふ忌諱きい れずとのしめ すのみにして、江戸の慣例かんれい れば、臭草紙くさぞうし の類は町年寄まちどしより権限内けんげんない にて取捌とりさば き、それ 以上、学者の著述ちょじつ聖堂せいどう 、又飜訳書ほんやくしょ なれば蕃書調所ばんしょしらべしょ と称する政府せいふ洋学校ようがっこう にて許可きょか するの法にして、著書ちょしょ 発行はっこう名誉めいよ 権利けんり著者ちょしゃ専有せんゆう すと うがごと私有権しゆうけん意味いみ を知る者なし。よっ て余はその コピライトの横文字よこもじ直訳ちょくやく して版権はんけん新文字しんもじ製造せいぞう したり。其他そのた吾々われわれ 友人間ゆうじんかん にて作りたる新字もはなは だ少なからず。わす れたり、学友がくゆう横文おうぶん にあるドルラル記号きごう $を見てたて似寄により りの弗の字を用い、ドルラルと ませたるが如き面白おもしろ思付おもいつき にして、これはん し余がポストヲフヒス飛脚場ひきゃくばポステージ飛脚印ひきゃくじるし と訳して郵便ゆうびんゆう の字に心付こゝろづ かず、ブックキーピング帳合ちょうあい と訳して簿記ぼき の字を用いざりしは、あまぞく ぎたる故か今日こんにち に行わるゝを ず。 — 福澤諭吉、『福沢全集緒言』22-24頁
  9. ^ 次郎長もこの石碑が建てられた際に来ているが、意味がわからない子分のために漢文の内容を分かりやすく教えている。自己犠牲というアウトローが尊ぶ精神構造と似ていたせいか諭吉と教養面で隔絶した文盲の子分たちは大いに納得していたという。
  10. ^ ただし、塾内の掲示物等では教員も君付けだが、塾生や塾員が教員に向かって面と向かって君付けで呼びかけるわけではない。これは、義塾草創期は上級学生が教師役となって下級生を教授していたことの名残といわれている。
  11. ^ 1960年代にすでに朝鮮社会科学院歴史研究所が邦題『金玉均の研究』を出版。
  12. ^ その典型的な例を挙げれば、2001年中央日報、各国貨幣に扱われた人物について述べたコラム【噴水台】ユーロ貨の橋の次のような文言:「日本の1万円札には19世紀末、韓国を征伐するよう主張した福澤諭吉の肖像が入っている。日本では開化思想家として知られているが、韓国の立場からするとけしからん人物だ」
  13. ^ 総連系の学者で金玉均の研究家

出典

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福澤諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 22:30 UTC 版)

陽だまりの樹」の記事における「福澤諭吉」の解説

適塾時代良庵悪友咸臨丸米国へ渡航し、後に慶応義塾を開く。

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福澤諭吉(ふくさわ ゆきち)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:56 UTC 版)

JIN-仁-」の記事における「福澤諭吉(ふくさわ ゆきち)」の解説

新銭座の英学塾慶応義塾の主。江戸城お堀端悩んでいた恭太郎声をかける恩師である緒方洪庵から仁の話を聞いて一度話をしてみたいと恭太郎仲介頼んだ当時としては勝と似たタイプリベラル派ではあったが、似ているからこそ互いの悪い部分良くわかるのか、今ひとつソリが合わなかった模様

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福澤諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 00:13 UTC 版)

夫婦創姓論」の記事における「福澤諭吉」の解説

福澤諭吉は『日本婦人論』(明治18年7月発兌)の第7章で、養子縁組などの手段を取って家系過剰に重視する風潮一新するための案の一つとして下記のような一種の創姓論を主張している。また福澤は、両親から与えられ苗字については、「生涯身に附して離れ」ないものとして、夫婦それぞれ必要に応じて使えるものとして提案している。 (前略新婚以て新家族を作ること數理當然なりとして爭ふ可らざるものならば其新家族の族名卽ち苗字男子の族名のみを名乘る可らず女子の族名のみを取る可らず中間一種の新苗字創造して至當ならん例へ畠山の女と梶原の男と婚したらば山原なる新家族と爲り山原の男が伊東の女と婚すれば山東爲る等卽案なれども事の實を表し出すの一法ならん斯の如くすれば女子男子嫁するにも非ず男子女子の家に入夫たるにも非ず眞實出合夫婦にして双方婚姻權利平等なりと云ふ可し(後略

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福沢諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 02:35 UTC 版)

花神 (小説)」の記事における「福沢諭吉」の解説

豊前国中津藩出身洋学者緒方洪庵適塾蘭学学び抜群成績収めて洪庵に高く評価された。蔵六にとって同窓ではないが、塾の後輩に当たる。

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福沢諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:06 UTC 版)

王道の狗」の記事における「福沢諭吉」の解説

慶應義塾大学創始者思想家甲申事変の際には金玉均協力者となるが、事変後の朝情勢失望し援助求め金玉均に「近代化独立難しい」と説くまた、「弱い国家民族差別するべきではないのでは」との加納からの問いかけには「だから学問をしろと言っている」と退けた

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福沢諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 08:42 UTC 版)

大槻磐渓」の記事における「福沢諭吉」の解説

維新前からの付き合いで、従者として咸臨丸渡米した際も磐渓に相談があったという。なお、福沢学問師弟系譜辿っていくと、適塾緒方洪庵中天游大槻玄沢まで行き着くまた、息子大槻文彦とも付き合い続いた

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福沢諭吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 18:15 UTC 版)

タイムスリップ探偵団」の記事における「福沢諭吉」の解説

適適斎塾の塾長お調子者

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福沢諭吉 (中津)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:07 UTC 版)

桃太郎電鉄2010 戦国・維新のヒーロー大集合!の巻」の記事における「福沢諭吉 (中津)」の解説

独占しばらくしてから登場することがある

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福澤諭吉

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 10:58 UTC 版)

固有名詞

ふくざわゆきち

  1. 江戸時代末期から明治時代日本蘭学者教育者思想家著述家1835年天保5年) - 1901年明治34年)。慶應義塾創設者主な著作に『西洋事情』、『学問のすゝめ』などがある。

関連語

名詞

ふくざわゆきち

  1. 隠語一万円札1984年より)。

福沢諭吉

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 10:58 UTC 版)

固有名詞

ふくざわゆきち

  1. 江戸時代末期から明治時代日本蘭学者教育者思想家著述家1835年天保5年) - 1901年明治34年)。慶應義塾創設者主な著作に『西洋事情』、『学問のすゝめ』などがある。

関連語

名詞

ふくざわゆきち

  1. 隠語一万円札1984年より)。

「福沢諭吉」の例文・使い方・用例・文例

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蘭学者 石井修三  伊東玄朴  福澤諭吉  中天游  青木周弼
自然保護活動家 岡崎友紀  関本賢太郎  福澤諭吉  呉立紅  アリシア・ベイ=ローレル
映画作品 ターザンと巨象の襲撃  ロッキー3  福沢諭吉  飛び出したお嬢さん  ハウルの動く城
江戸幕府旗本 伊奈忠順  戸川安廣  福澤諭吉  六角広満  浅井政重
日本の教育者 荒井郁之助  中澤信雄  福澤諭吉  濱尾実  和光信也
思想家 マックス・ヴェーバー  法称  福沢諭吉  孫武  アルトゥル・ショーペンハウアー
教育関係人物 空海  フリードリヒ・フレーベル  福澤諭吉  森有礼  横瀬和治
明治時代の人物 河田景与  木津幸吉  福澤諭吉  森有礼  江崎礼二
幕末の人物 前田隆礼  伊東玄朴  福澤諭吉  吉田守隆  秋元与助
適塾の人物 松下元芳  長與專齋  福澤諭吉  大鳥圭介  橋本左内
日本の文明評論家 新渡戸稲造  勝海舟  司馬遼太郎  福澤諭吉  江藤淳

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