浅井政重(あざい まさしげ) ????~????
浅井政重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 03:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 承応元年8月24日(1652年9月26日) |
別名 | 新太郎(通称) |
戒名 | 日久 |
墓所 | 京都府京都市上京区の妙顕寺 |
幕府 | 江戸幕府 書院番 |
主君 | 豊臣秀保、徳川家康 |
氏族 | 尾張浅井氏 |
父母 | 浅井政貞 |
兄弟 | 長時、政重、市橋長勝正室 |
妻 | お亀の方姪 |
子 | 浅井政候、茂大夫、水野正照室ら |
浅井 政重(あざい まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川氏の家臣。
来歴
9歳で豊臣秀保に仕え、13歳から江の招請により徳川家康に仕え、山城国綴喜郡で500石を与えられる。徳川家では主に書院番などを担当している。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いや、慶長19年~20年(1614年~1615年)の大坂の陣には徳川方として参戦した。
系譜
出典
- 新訂寛政重修諸家譜12
固有名詞の分類
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