浅井政信とは? わかりやすく解説

浅井政信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 16:51 UTC 版)

 
浅井政信
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文12年(1543年
官位 大和介
主君 浅井亮政久政
氏族 浅井氏
父母 浅井直政(または浅井直種
兄弟 政信蔵屋
政澄、政重、政成、政連
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浅井 政信(あざい まさのぶ)は、戦国時代武士浅井氏の家臣。

来歴

父は浅井直政(浅井宗家・浅井忠政の嫡子)とされる。浅井亮政久政に奏者として仕えた。

直政の子には政信の他に亮政と赤尾教政がいたという系譜がある。一方、別の系譜では、亮政は忠政の弟・浅井直種の実子であり、亮政は直政(従兄弟)の娘の蔵屋と婚姻し、婿養子となったと記されているのみであり、政信は登場しない。

赤尾教政の浅井家一門としての系譜も不詳である。

系譜

  • 『諸家系図纂(続群書類従)[1]』では新介、大和守。永禄元年(1558年)没。浅井賢政の子、教政(新次郎、赤尾駿河守)、亮政(備前守)の弟。政澄(玄蕃允)、某(雅楽助)、某(斉之介)、某(木工助)の父。
  • 柳営婦女伝[2]』には記載がない。
  • 『東浅井郡誌[3]』では「菅浦文書」中に天文15年(1546年)に海津に出陣したと記述のある「大和守殿」を政信とする「俗説」があるとしている。
  • 『浅井三代記』では浅井新助(のち大和守政信)を浅井堅政の三男で、赤尾駿河守教政(新次郎)、備後守亮政(新三郎)の弟とする。また政信は永禄元年以前に亡くなり、嫡男は玄蕃允であるとしている。

出典

  1. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ”. 2024年4月19日閲覧。
  2. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月19日閲覧。
  3. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月19日閲覧。




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