浅井久政とは? わかりやすく解説

浅井久政(あざい ひさまさ) ????~1573

夜叉 新九郎 左兵衛尉 下野守
◇父:浅井亮政 室:井口弾正忠元女 子:富樫綱政、浅井長政、政元?、政之?
 父亮政の死後北近江浅井家を継ぐ。父のような覇気はなく、能や鷹狩熱中して積極的に戦を行うことはなかったが、内政にはそれなりの手腕があった様で、結果的に国は富んだ。しかし南近江六角氏侵攻防ぎきれず、その傘下となる。これを不服とした子賢政(長政)により、六角支配から脱するが久政は隠居の身となったその後浅井氏尾張織田氏と結び勢力拡大するが、織田氏敵対する将軍足利義昭御内書受けた久政が、政治口出しするようになり、結果的に浅井氏織田氏滅ぼされ、子の長政と共に小谷城にて自害した

浅井久政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 14:14 UTC 版)

浅井 久政(あざい[注釈 1] ひさまさ、淺井 久政)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将北近江戦国大名浅井氏当主。


注釈

  1. ^ 「浅井」の読みについては、「あさい」とする説と「あざい」とする説がある。詳細は浅井氏#浅井の読み方を参照。
  2. ^ 新三郎は亮政の名乗りを受け継いだものである。
  3. ^ 「久政代の事は何れも人の笑と可成事のみ多く候」(『浅井三代記』)
  4. ^ 「六角家にたより、佐々木定頼の幕下に属し」(『江濃記』)
  5. ^ 「下野守久政の代に成て武勇父にをとりけるにや」(『江濃記』)
  6. ^ 天文11年(1541)5月15日久政発給文書。「高月川(高時川)預り井口越前守許容之上、餅之井懸越候間、以来心得候て、迷惑時者、水まかし可被致候。恐等謹言。浅井久政大井(上六組懸り)所々百姓中」

出典

  1. ^ 黒田 1927, p. 260,535.
  2. ^ a b 『系図纂要』
  3. ^ 宮島 2008, p. 86.
  4. ^ a b 小和田 2005, p. 46.
  5. ^ 黒田 1927, p. 203.
  6. ^ 黒田 1927, pp. 199–201.
  7. ^ 宮島 2008, pp. 84–85.
  8. ^ a b 小和田 2005, pp. 47–48.
  9. ^ 黒田 1927, pp. 203–206.
  10. ^ 宮島 2008, p. 89.
  11. ^ 黒田 1927, pp. 187–188.
  12. ^ 宮島 2008, p. 84.
  13. ^ 宮島 2008, pp. 80–81.
  14. ^ 黒田 1927, p. 207.
  15. ^ a b c 小和田 2005, p. 49.
  16. ^ 宮島 2008, p. 90.
  17. ^ 黒田 1927, p. 216.
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  19. ^ 黒田 1927, pp. 224–227.
  20. ^ 宮島 2008, pp. 92–93.
  21. ^ a b 黒田 1927, pp. 231–235.
  22. ^ a b 宮島 2008, pp. 93–94.
  23. ^ 黒田 1927, pp. 238–239.
  24. ^ 宮島 2008, p. 95.
  25. ^ 黒田 1927, pp. 243–244, 248–250.
  26. ^ 宮島 2008, pp. 95–96.
  27. ^ 黒田 1927, pp. 253–257.
  28. ^ 宮島 2008, p. 97.
  29. ^ a b 小和田 2005, pp. 50–51.
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  31. ^ 宮島 2008, pp. 97–98.
  32. ^ 宮島 2008, p. 147.
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  35. ^ 宮島 2008, pp. 147–148.
  36. ^ a b 黒田 1927, pp. 285–286.
  37. ^ 宮島 2008, pp. 147–149.
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  39. ^ 黒田 1927, p. 285.
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  41. ^ 宮島 2008, p. 266.
  42. ^ 黒田 1927, pp. 533–537.
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  45. ^ 小和田 2005, p. 55-59.
  46. ^ 宮島 2008, pp. 140–143.
  47. ^ 黒田 1927, pp. 264–266.
  48. ^ 黒田 1927, pp. 174–177.
  49. ^ 小和田 2005, p. 51-53.
  50. ^ 黒田 1927, p. 102.
  51. ^ 黒田 1927, pp. 356–357.
  52. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月14日閲覧。


「浅井久政」の続きの解説一覧

浅井久政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)

信長 (漫画)」の記事における「浅井久政」の解説

長政の父。朝倉への義理から信長攻撃するが、実力評価していた。小谷城攻防戦では京極丸を守備していたが、羽柴隊の奇襲攻撃を受け自害した

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浅井久政(あさい ひさまさ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「浅井久政(あさい ひさまさ)」の解説

通称下野守長政の父。家督長政譲ってはいるが未だ発言力強く優柔不断だった長政に代わって信長討とうとしていた。長政当主として威信持ち始めると、長政全権委ねる羽柴秀吉によって小谷城虎口突破されると自害した

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浅井久政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)

徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「浅井久政」の解説

長政の父。浅井氏2代目当主

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