浅井久政(あざい ひさまさ) ????~1573
◇父:浅井亮政 室:井口弾正忠経元女 子:富樫綱政、浅井長政、政元?、政之?
父亮政の死後、北近江・浅井家を継ぐ。父のような覇気はなく、能や鷹狩に熱中して積極的に戦を行うことはなかったが、内政にはそれなりの手腕があった様で、結果的に国は富んだ。しかし南近江・六角氏の侵攻を防ぎきれず、その傘下となる。これを不服とした子賢政(長政)により、六角の支配から脱するが久政は隠居の身となった。その後、浅井氏は尾張・織田氏と結び勢力を拡大するが、織田氏に敵対する将軍足利義昭の御内書を受けた久政が、政治に口出しするようになり、結果的に浅井氏は織田氏に滅ぼされ、子の長政と共に小谷城にて自害した。
浅井久政
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浅井 久政(あざい[注釈 1] ひさまさ、淺井 久政)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北近江の戦国大名・浅井氏当主。
注釈
出典
- ^ 黒田 1927, p. 260,535.
- ^ a b 『系図纂要』
- ^ 宮島 2008, p. 86.
- ^ a b 小和田 2005, p. 46.
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- ^ 黒田 1927, p. 102.
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- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年4月14日閲覧。
浅井久政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)
長政の父。朝倉への義理から信長を攻撃するが、実力は評価していた。小谷城攻防戦では京極丸を守備していたが、羽柴隊の奇襲攻撃を受け自害した。
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浅井久政(あさい ひさまさ)
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「センゴク」の記事における「浅井久政(あさい ひさまさ)」の解説
通称は下野守。長政の父。家督は長政に譲ってはいるが未だ発言力は強く、優柔不断だった長政に代わって信長を討とうとしていた。長政が当主として威信を持ち始めると、長政に全権を委ねる。羽柴秀吉によって小谷城虎口を突破されると自害した。
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浅井久政
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「浅井久政」の解説
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