宍甘太郎兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:11 UTC 版)
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時代 | 安土桃山時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
主君 | 宇喜多秀家 |
氏族 | 宍甘氏 |
兄弟 | 太郎兵衛、太郎右衛門 |
宍甘 太郎兵衛(しじかい たろうべえ)は、安土桃山時代の武将。宇喜多氏の家臣。知行1210石。
略歴
天正9年(1581年)の八浜合戦では毛利氏を退け、八浜七本槍の一人として名を轟かせる。
関ヶ原の戦いの折には、老齢により留守居役として弟・太郎右衛門と岡山城に留まり、城代・浮田宗勝を補佐した。宇喜多家の属する西軍が敗れた後、岡山城の接収に来た戸川達安・宇喜多詮家に無事城を明け渡すのに貢献した。隠退先は不明。
現在でも岡山では宍甘姓が多く見られ、太郎兵衛の末裔もしくは親類系の子孫と思われる。[独自研究?]
固有名詞の分類
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