戸川達安
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/21 13:47 UTC 版)
戸川 達安[8](とがわ みちやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。当初は備前の宇喜多氏の家臣(知行2万5,600石)であったが出奔、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その功により備中国庭瀬藩初代藩主となる。
- ^ 主水正。達安の次男とは同名別人。子の安平は旗本1千2百石だったが、越後騒動で咎を受け南部藩預かりとなる。安平の室は柴田康長娘。
- ^ 助左衛門。旗本で備中国内で3千石。達安の六男の孫六を養子とするが孫六は早世。
- ^ のち離縁して岡道和家室
- ^ 子孫は旗本3百俵
- ^ 兄から分知を受け旗本3千4百石。
- ^ 兄から分知され旗本3千4百石。
- ^ 叔父の勝安の養子となるが早世。
- ^ 諱は「逵安」とも書き、江戸中期に編纂された幕府公式系図集である『寛政重修諸家譜』掲載の戸川氏系図で見られる。また子孫が「逵」の字を通字にしている。
- ^ 戸川氏系譜
- ^ 『日本戦史‧中国役』(補伝 第八十二戸川達安の戦功)[1]
- ^ 『日本戦史‧九州役』(補伝 第七十五戸川達安の武功)[2]
- ^ 『日本戦史‧小田原役』(補伝 第九十戸川達安兄弟の意氣)[3]
- ^ 『日本戦史‧朝鮮役』(補伝 第七十八戸川達安碧蹄の戦功)[4]
- ^ 『日本戦史‧関原役』(第五篇 第二章 本戦)[5]
- ^ 中日新聞 島左近の遺品公開 久能山東照宮博物館
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