戸川安宣(とがわ・やすのぶ)
戸川安宣
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| 時代 | 江戸時代前期 | 
| 生誕 | 慶安元年(1648年) | 
| 死没 | 延宝2年12月27日(1675年1月22日) | 
| 改名 | 土肥丞(幼名)、安宣 | 
| 別名 | 玄蕃(通称) | 
| 戒名 | 清性院殿覚庭円意大居士 | 
| 墓所 | 岡山県岡山市南区妹尾地域の成隆寺 | 
| 官位 | 従五位下・土佐守 | 
| 幕府 | 江戸幕府 | 
| 主君 | 徳川家綱 | 
| 藩 | 備中庭瀬藩主 | 
| 氏族 | 戸川氏 | 
| 父母 | 戸川正安、寺沢広高娘 | 
| 兄弟 | 安宣、安成[1]、池田薫彰正室ら | 
| 妻 | 有馬康純娘、溝口重雄次女よめ | 
| 子 | 安風、逵冨、松平政舎室 | 
略歴
2代藩主戸川正安の次男。
寛文9年(1669年)、父の死去により家督を継ぐ。このとき、弟の安成に1500石を分与したため、2万1000石となる。六間川の開削工事をはじめとする農政に手腕を見せたが、在任5年後の延宝2年(1674年)12月27日に27歳で死去した。跡を長男の安風が継いだ。
東京創元社の会長を務めた同名の戸川安宣は、安宣の叔父である戸川安利(帯江戸川家)の子孫である。
系譜
脚注
- ^ 旗本。甥で当主の逵冨の子・戸川正方を養子とした。
固有名詞の分類
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