玄照寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/29 10:19 UTC 版)
玄照寺(げんしょうじ)は、東京都世田谷区北烏山にある日蓮宗の寺院。山号は常徳山。旧本山は身延山久遠寺、潮師法縁。雨乞いの祖師を祀る。境内には庭瀬藩主戸川家の墓所がある。
歴史
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慶長19年(1614年)忠禅院日延(小湊誕生寺18世)を開山、覚隆院日諦の開基で現在の東京都港区白金に創建した。昭和2年(1927年)現在地へ移転、関東大震災後の区画整理によるという。
伽藍
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人物
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- 瑞牙院日光(25世) 現在地に移転した。
参考資料
座標: 北緯35度40分46秒 東経139度35分53.1秒 / 北緯35.67944度 東経139.598083度
玄照寺(げんしょうじ・地図)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:18 UTC 版)
「烏山寺町」の記事における「玄照寺(げんしょうじ・地図)」の解説
日蓮宗に属し、本山は身延山久遠寺、山号を「常徳山」という。創建は1614年(慶長19年)で当時は芝白金にあった。開山の日延は李氏朝鮮国王子臨海君の子である。1592年(文禄元年)、文禄の役で臨海君と順和君は加藤清正に引き渡されて捕虜となった。後に講和の条件として釈放され、臨海君の2子(姉弟)が日本に迎えられた。清正は2子を愛育し、弟は長じて僧籍に入り玄照寺の開山となった。姉は備中庭瀬藩主戸川達安の側室として迎えられ、以後戸川家は玄照寺の有力な檀越となったと伝わる。1689年(元禄2年)に不受不施派禁圧により、碑文谷法華寺の末寺から身延山久遠寺の直末となった。1927年(昭和2年)、烏山の現在地に移転した。所在地は北烏山4-21-1。
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