加藤嘉明とは? わかりやすく解説

かとう‐よしあき【加藤嘉明】

読み方:かとうよしあき

[1563〜1631]安土桃山時代武将三河の人。豊臣秀吉仕え賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍の一。九州征伐小田原征伐文禄の役慶長の役従軍関ヶ原の戦いには東軍につき、松山、のち会津領主となった


加藤嘉明

読み方かとう よしあき

安土桃山江戸前期武将近江水口藩加藤家の祖。幼名は孫六、のち茂勝・左馬之助。豊臣秀吉仕え信任されたが、のち徳川家康接近数々武功をあげる。後世軍法伝えるほどの武将である一方民政にも優れていた。寛永8年(1631)歿、69才。大正6年贈従三位

加藤嘉明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 07:01 UTC 版)

加藤 嘉明(かとう よしあきら[2] / よしあき[3])は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将大名豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍七将の1人。伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。


  1. ^ a b c 加藤嘉明は、大名になった後に、系図を創り、本姓を藤原氏とする加藤氏を称するようになった。加藤左馬丞朝明(広兼)の孫とするが、父より前の出自は不明。父も岸姓であったとも言う。出自の異なる加藤光泰の祖先と系図上でつながるようになっているのは、猶子となった経緯からだろう。
  2. ^ 伊予史談会 1930, p.1
  3. ^ 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年、71-72頁。 
  4. ^ 一説では賀気村または西尾村の生まれという。
  5. ^ 知行20万石以上で、嘉明の伊予国では藤堂高虎よりも上位に立てることを意味する。
  6. ^ 完成は蒲生忠知の時代。
  7. ^ 寺島隆史「加藤嘉明・大友義統発給文書等について―上田藩士河合家伝来加藤文書を中心に―」『信濃』66巻8号、2014年。 
  8. ^ 福田千鶴「<史料紹介>竹田文庫伝来加藤嘉明宛書状」『九州文化史研究所紀要』61号、2018年。 
  9. ^ a b c d 朝倉 & 三浦 1996, p.260


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