秀吉時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 06:27 UTC 版)
近江黒田氏系の父、初代黒田九兵衛忠次は羽柴秀吉が長浜城主となった天正年間、弟の羽柴秀長(大和大納言豊臣秀長)に直属の家臣として仕えた。その子の2代目黒田九兵衛直次も羽柴秀長に仕え150石で召抱えられていたが、天正13年(1585年)7月に羽柴秀吉が関白豊臣秀吉となり羽柴秀長が大和大納言豊臣秀長となった年に加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)の家臣となった。 天正18年(1598年)の小田原征伐では加藤嘉明の水軍に鉄砲隊(御陳)として参加。 文禄元年(1593年)の文禄の役にも加藤水軍として参戦し、慶長3年(1598年)に主君の加藤嘉明が秀吉から伊豫国眞崎を拝領した際に、直次は伊豫国野間郡吉田村(現在の今治市付近)に知行600石を得た。
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