李舜臣とは? わかりやすく解説

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り‐しゅんしん【李舜臣】

読み方:りしゅんしん

[1545〜1598]李氏朝鮮武将。徳水の人。字(あざな)は汝諧(じょかい)。諡号(しごう)は忠武。1591年全羅左道水軍節度使となる。92年壬辰(じんしん)の乱(文禄の役)で日本水軍を撃破丁酉(ていゆう)の乱(慶長の役)でも善戦したが、露(ろりょう)海戦戦死

李舜臣の画像

李舜臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 14:56 UTC 版)

李 舜臣(り しゅんしん、イ・スンシン、이순신(南)/리순신(北)[1]1545年4月28日明暦:嘉靖24年3月8日〉- 1598年12月16日〈明暦:万暦26年11月19日〉[2])は、李氏朝鮮将軍汝諧(じょかい、ヨヘ、여해)。文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率いて日本軍と戦い活躍し、韓国では「救国の英雄」とされている。朝鮮内の党争[注釈 1]の影響で李の対立側である元均らの勢力によって、懲罰を受けて兵卒に落とされ一時失脚していたが、軍を率いていた元均が戦死したことで危機感を覚えた朝鮮王によって復権して日本軍と戦ったが、露梁海戦で敗死した[3]。死後に贈られた忠武公충무공)。


注釈

  1. ^ 李氏朝鮮で恒常的に存在した官人による党派争い。朝鮮宮廷では文人が優位で、武人は下位に置かれて軽視されており、戦役前に西人派の鄭澈が王世子の擁立に際して宣祖の寵姫に讒言されて失脚し、替わって政権を手にした東人派の柳成龍が李舜臣を登用したという背景があったため、文禄の役の序盤で柳が一時失脚すると、李は後ろ盾を失った。
  2. ^ a b 将の資格を奪い、(身分の低い者を意味する)白装束の一兵卒として従軍させる屈辱刑。
  3. ^ 後に『看羊録』を残した姜沆が9月23日に藤堂水軍の捕虜となった地点は全羅道霊光の西岸である。
  4. ^ "三路の戦い(第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い)において、明・朝鮮軍は全ての攻撃で敗退し、これにより、三路に分かたれた明・朝鮮軍は溶けるように共に潰え、人心は恟懼(恐々)となり、逃避の準備をした。"[18]
  5. ^ 「流れ弾」について『韓国通史』P.285(乙酉文化社史2003年改訂版18刷)では「露梁海上で日本軍の退路を塞いで殲滅しようとした李舜臣は不幸にも流れ弾に当たって戦死してしまった」とする[20]
  6. ^
    原文
    十月。劉提督再攻順天賊営。統制使李舜臣。以舟師大敗其救兵於海中。舜臣死之。賊将平行長。棄城而遁。釜山蔚山河東沿海賊屯悉退。時行長築城干順天居芮橋堅守。劉綎以大兵侵攻不利。還順天。既而復侵攻之。李舜臣與唐将陳璘。扼海口以逼之。行長求援於泗川賊沈安頓吾。頓吾従水路来援。舜臣進撃大破之。焚賊舟二百餘艘。殺獲無算。追至南海界。舜臣親犯矢石力戦。有飛丸中其胸出背後。左右扶入帳中。舜臣曰。戦方急。慎勿言我死。言訖而絶。[21]
    舜臣は、進撃して大いにこれを撃破し、賊船二百余艘を焼き払い、数えきれないほどの賊を殺獲し、(賊を)追いながら南海との界(=露梁)にまで至った。舜臣は危険をものともせず、みずから力戦していたが、飛来した弾丸がその胸に命中し背中に抜けた。左右の者が帳中に扶け入れた。舜臣は『戦いはまさに切迫している。くれぐれも私の死を知らせぬように』と言い、いい終わるや息絶えた。」[22]
  7. ^ a b 島津光久家老であった島津久通が、寛文11年(1671年)に編纂した文禄慶長の役の顛末を記した書物。
    島津久通. “征韓録”. 鹿児島大学附属図書館コレクション・玉里文庫. 2013年12月11日閲覧。
  8. ^ 權慄と元均とは同列である。
  9. ^ 貝原益軒の序文と朝鮮地図を付け加えて元禄8年(1695年)に京都の大和屋伊兵衛により日本語版が出版されている。
  10. ^ 文禄・慶長の役を題材にしたフィクションであり、作者・執筆年代の詳細は不明。李舜臣と高僧達が日本まで踏み込んで行き、道術で日本国王を降参させ悔悛させるという内容。ハングルで書かれたものと漢文で書かれたものがある。稀覯本であり、この物語が朝鮮民衆に広く流布していたという学術上の検証はない。
  11. ^ 最初期の研究には木下真弘「豊太閤征外新史」(1893年)や北豊山人「文禄慶長朝鮮役」(1894年)があり、1908年には申采浩「水軍第一偉人 李舜臣傳」(独立運動研究所)、1931年に崔南善「壬辰乱」(東明社)がある[26]
  12. ^ 前述のように朝鮮水軍の一将にすぎない李舜臣が倭乱鎮定のすべての功績を担ったわけではないが、次第に彼の役割が実際よりも大きく扱われるようになった。
  13. ^ 1923年 2月に朴殷植(朴殷植)が編著して発行した『救国の名将李舜臣』。
  14. ^ 「あなたのお国の李舜臣将軍は私の先生です。(中略)自分はネルソンに比べられるかも知れない。しかし李舜臣は私を越えている」[34]
  15. ^ 安藤彦太郎寺尾五郎宮田節子吉岡吉典(編)『日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論』(日本朝鮮研究所、1964年。ASIN B000JAF9VG)にも記述が見られるが、こちらの一文については肝心の起筆者が不明で、誰から聴取したのか聴取元も不明という状態である。
  16. ^ 詩人金素雲は、日本海軍の鎮海司令部では毎年李舜臣をお祀りしていたと記述している[36]

出典

  1. ^ 조선중앙통신 | 기사 | 우리 인민의 반침략투쟁력사를 전하는 승전비-북관대첩비”. www.kcna.kp. 2022年8月15日閲覧。
  2. ^ Yi Sun-shin Korean admiral Encyclopædia Britannica
  3. ^ 海戦p46,世界戦史研究会,2011年
  4. ^ a b 徳富猪一郎国立国会図書館デジタルコレクション 豊臣氏時代 丁篇 朝鮮役 上巻』 第7、民友社〈近世日本国民史〉、1935年、630-639頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223744/334 国立国会図書館デジタルコレクション 朝鮮史編修会(漢文調)『国立国会図書館デジタルコレクション 朝鮮史. 第四編第九巻』朝鮮総督府、1937年、468-469頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3439892/277 国立国会図書館デジタルコレクション 
  5. ^ a b c 『天正記』第七巻所収「ちやうせん国御進発の人数つもり」
  6. ^ a b c 文禄4年正月15日付「高麗国動御人数帳」『島津家文書957号』
  7. ^ a b c 三鬼清一郎朝鮮役における水軍編成について」『名古屋大学文学部二十周年記念論集』、名古屋大学文学部、1969年1月、267-285頁、CRID 1390572174609695488doi:10.18999/jouflh.20th.267hdl:2237/9907ISSN 0469-4716 
  8. ^ 「釜山、賊之根本也。進而覆之、賊必失據。」李忠武公全書 巻之十三 附録五 『宣廟中興志』
  9. ^ 朝鮮王朝実録 "李舜臣等攻釜山賊屯, 不克。" http://sillok.history.go.kr/id/wnb_12508001_002
  10. ^ "八月、李舜臣進攻釜山、鹿島萬戶鄭運死之、舜臣引兵還。" 李忠武公全書 巻之十三 附録五 『宣廟中興志』
  11. ^ 『旧記雑録』
  12. ^ 宣祖実録86巻、宣祖30年3月20日
  13. ^ 柳成龍『懲毖録
  14. ^ a b 「乱中日記」
  15. ^ 慶長2年(1597年)2月21日付朱印状『立花家文書』等
  16. ^ 旧参謀本部『日本の戦史 朝鮮の役』徳間文庫 徳間書店、1995年、306頁
  17. ^ 朝鮮王朝実録 31-10-12-5 http://sillok.history.go.kr/id/kna_13110012_007
  18. ^ 『宣祖実録十月十二日条』
  19. ^ 宣祖実録
  20. ^ 孫承喆「中・近世の韓日関係史に関する認識の共通点と相違点」(日韓歴史共同研究第一回報告書第2分科、中近世)[1]PDF-P.12
  21. ^ 朝鮮群書大系・懲毖録全、朝鮮古書刊行会・大正2年、国立国会図書館デジタル化資料P.66、コマ番号P.36[2]
  22. ^ 東洋文庫『懲毖録』訳・朴鐘鳴
  23. ^ 参謀本部 編. “日本戦史. 朝鮮役 (文書・補伝)”. 近代デジタルライブラリー. 2013年12月11日閲覧。
  24. ^ ノ・スンソク (2014年8月10日). “李舜臣の英雄化で根拠なき自殺説・隠遁説が横行”. 朝鮮日報. オリジナルの2014年8月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140810072347/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/09/2014080900761.html 2014年8月10日閲覧。 
  25. ^ 申維翰 著、姜在彦 訳『海游録—朝鮮通信使の日本紀行』平凡社、1974年。ISBN 4582802524 
  26. ^ 鄭求福『壬辰倭乱の歴史的意味』、朴晢晄『壬辰倭乱(文禄・慶長の役)研究の現況と課題』(日韓歴史共同研究報告書 第2分科篇)
  27. ^ 韓国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア 趙珖 ソウル特別市史編纂委員会委員長/高麗大学校名誉教授[3]
  28. ^ a b “李舜臣銅像は「日本の気を抑えるため」”. 中央日報. (2004年4月9日). http://japanese.joins.com/article/531/50531.html 2013年12月12日閲覧。 
  29. ^ 李栄薫 編『反日種族主義との闘争』文藝春秋、2020年9月17日、109-110頁。ISBN 4163912592 
  30. ^ 歴史群像』2010年4月号「朝鮮出兵渡海作戦」
  31. ^ 全国歴史教育研究協議会(編)『日本史B用語集—A併記』山川出版社、2004年。ISBN 4634013029 これには「亀甲船を考案して日本軍の補給路を攪乱した」と書いてある。
  32. ^ 太宗実録・太宗13年(1413年)の条に十三年二月五日甲寅「上過臨津渡觀龜船倭船相戰之狀」、十五年七月十六日辛亥「其六龜船之法衝突衆敵而敵不能害可謂決勝之良策更令堅巧造作以備戰勝之具」とある。
  33. ^ 下記の外部リンクにある韓国・慶尚南道のサイト
  34. ^ 藤塚明直『一九三二・土州の沖は : 旧制高校旧制中学同窓誌に雄叫ぶ』文芸社、2000年。ISBN 4887379617 
  35. ^ 『朝鮮役水軍史』 有馬成甫、空と海社、1942年。ASIN B000JA6H3A
  36. ^ 金素雲『近く遥かな国から』新潮社、1979年。ISBN 4103342013 ASIN B000J8BY26
  37. ^ “「李舜臣の八賜品、明皇帝が下賜したものではない」=韓国(1)”. 中央日報日本語版. (2014年11月7日). http://japanese.joins.com/article/399/192399.html 2014年11月7日閲覧。 “「李舜臣の八賜品、明皇帝が下賜したものではない」=韓国(2)”. 中央日報日本語版. (2014年11月7日). http://japanese.joins.com/article/400/192400.html 2014年11月7日閲覧。 
  38. ^ 「安重根と李舜臣、会場に巨大な幕 サッカー東アジア杯」 朝日新聞 2013年7月29日


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李舜臣(イ・スンシン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)

へうげもの」の記事における「李舜臣(イ・スンシン)」の解説

朝鮮軍将軍。法基里と織部一行交流を嫌う義勇兵たちの要請応え軍船提供したことから、織部一行窮地追い込まれた。秀吉死後朝鮮から撤退する日本軍追撃中に流れ弾を受け戦死

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