李舜臣の戦死について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:04 UTC 版)
朝鮮の官僚である柳成龍が記した「懲毖録」では、李舜臣の死のことを『李舜臣は日本軍を大いに撃破し、これを追撃している最中に鉄砲の弾丸で戦死した』と記しているが、同じ朝鮮側の文献である「乱中雑録」では「砲賊伏於船尾、向舜臣斉発、舜臣中丸、不省人事」(鉄砲を持った賊(倭人)が船尾に伏せており、舜臣に向け斉射したところ弾が当たり人事不省となった)と記述されている。中国の史料の「明史」では、『舜臣は鄧子龍を救援に赴き戦死した』とのみ記されている。 日本側文献の『征韓録』によれば、小船で先出してきた鄧子龍が従卒二百余兵とともに討ち取られるのを救援に進出してきたところを和兵に囲まれ船を乗っ取られたとのみ記し、死に至る詳細については残されていない。
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