鄧子龍とは? わかりやすく解説

鄧子龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/22 17:50 UTC 版)

鄧 子龍(とう しりゅう、嘉靖10年(1531年) - 万暦26年11月19日1598年12月16日))は、中国明代の武将。は武橋。本貫南昌府豊城県慶長の役において、明の朝鮮援兵の水軍副総兵として参戦したが、戦死した。


  1. ^ 明史』鄧子龍伝「璘遣子龍偕朝鮮統制使李舜臣督水軍千人」。字義からは「偕」は「あいたずさえて、終始ともに」の意で、時間的に前後したり途中で落ち合う場合は「倶」が使われる。
  2. ^ 『征韓録』に石火矢で打ち破り鄧子龍以下従卒200人を討ち取ったとあり、『明史』には味方からの火器の誤投擲により火災を生じ日本兵に乗り込まれたとある。軍記物である『土佐物語』では『明史』に準じており、明の後陣船の石火矢が子龍の帆柱をへし折り、この間に小西行長勢に乗り込まれ、討ち取られたとしている。


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鄧 子龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 14:39 UTC 版)

「鄧子龍」の記事における「鄧 子龍」の解説

万暦26年11月19日1598年12月16日))は、中国明代武将慶長の役に明の朝鮮援兵水軍副将(副総兵)として参戦し戦死した

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