包囲戦における同士討ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:08 UTC 版)
慶長の役の際、秀吉が亡くなったことで撤退戦に入った日本軍とそれを追撃する明軍、それを防ぐ小西行長勢の船を、明軍船が結果として囲んだ際、鄧子龍(水軍副総兵)の船の帆柱を明の後陣船の石火矢が命中させて折ってしまったことが『土佐物語』巻第十八「太閤薨去 日本勢帰朝の事」に記述されている。この同士討ちが原因で小西勢に乗り込まれて、鄧子龍は討ち取られたと記す。
※この「包囲戦における同士討ち」の解説は、「同士討ち」の解説の一部です。
「包囲戦における同士討ち」を含む「同士討ち」の記事については、「同士討ち」の概要を参照ください。
- 包囲戦における同士討ちのページへのリンク