包囲戦の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:21 UTC 版)
ラムソンは北軍がヒルズポイントから撤退したことでがっかりし、砲艦をナンスモンド川から退かせたが、ゲティと交渉して、哨兵をヒルズポイントに送ることができるならば、砲艦を戻すと約束した。ゲティの歩兵隊が川を渡って3度攻撃したが、その度に撃退された。 ロングストリートは北軍守備隊に対して正面攻撃を行うよりも包囲戦を行うことで譲歩していたが、その間にブラックウォーター地域で食料調達を行わせるのは大いに成功した。サフォークはワシントンD.C.に近いこともあり、総司令官のヘンリー・ハレックや国務長官のウィリアム・スワードがサフォーク守備隊を訪問することが可能だった。スワードはサフォークで1泊すらしており、ペックはその砦の1つに、それを記念する改名をおこなった。 最終的に4月30日、ラムソンの水兵がヒルズポイントに上陸して前哨線を張った。しかし、この頃にロングストリートは、ジョセフ・フッカー少将の指揮する北軍が北バージニアで動いているという情報を受け取るようになっていた。ロングストリートはリー軍を補強するために呼び出されるものと想定したが、まだこのときは命令が来ていなかった。ペックも北軍の動きを知らされており、フッカーには、ロングストリート軍をサフォークに釘付けにできると保証していた。5月1日、チャンセラーズヴィルの戦いの初日、フッカーはロングストリートがリー軍に加わっていたとペックに主張し、ペックはロングストリートがサフォークを離れていなかったと主張した。この時までに、ロングストリートのどの部隊もリー軍の元に戻ってはいなかったが、食料徴発部隊の荷車が北への移動を始めていた。このときリーとフッカーは大会戦を戦っていたが、ロングストリートは、荷車が安全だと分かるまで撤退はしないと、リッチモンドに伝えていた。5月3日、撤退命令が出た。5月3日早朝、ゲティの師団がローのアラバマ連隊を攻撃し、南軍塹壕の第1線を占領した。この戦闘で比較的多い損失を出した。その日遅くまでロングストリートはその撤退作戦を続けることを決めた。コーコランの前衛部隊が、撤退するピケット隊を追跡したが、後退する南軍に追いつけなかった。5月9日までにロングストリート軍はフレデリックスバーグ近くでリー軍と合流した。
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