包囲戦に関する史料とは? わかりやすく解説

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包囲戦に関する史料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:53 UTC 版)

コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)」の記事における「包囲戦に関する史料」の解説

この戦役に関する参照可能な情報後日著された文献に依っているものの、これらの史料内容はしばし互いに矛盾している。主なビザンツ側の史料は、テオファネス758年/760年 - 817年)による『テオファネス年代記』の広範囲に及ぶ詳細な説明と、補助的なものとしてコンスタンティノープル総主教ニケフォロス1世758年 - 828年)の『歴史抄録』による簡潔な説明がある。ニケフォロスの『歴史抄録』は、テオファネス年代記とは主に時系列の点でわずかな違いみられる包囲戦における出来事について、双方著者レオン3世治世中に書かれ一次資料参照したとみられている。そのためレオン3世好意的な記述含まれているが、一方でテオファネス716年出来事について、一見したところレオンに関する未知伝記ニケフォロスには無視されている)に依拠しているようにみえる8世紀年代記作家であるエデッサテオフィロス英語版)は、包囲戦包囲に至るまでの過程ある程度詳細に記録しており、マスラマ・ブン・アブドゥルマリクとレオン3世との間の外交関係に特に注意を払っている。 アラビア語史料としては、11世紀後半アル=アンダルス書かれとみられる年代記本項では以下『ウユーン』と呼ぶ)があり、これより簡潔ではあるものの、タバリー838年/839年 - 923年)による『諸使徒と諸王の歴史英語版)』も参照可能である。『ウユーン』タバリー共通して9世紀初頭書かれ複数一次資料依拠しているが、これらのアラブ側史料ビザンツ側の史料よりも雑然としており、いくつかの伝説的な要素含まれている。 シリア語史料ではヒエラポリスのアガピオス(英語版)(941年/942年没)によって引用された形で残っている、8世紀のサワーフィル・ブン・トゥーマー(英語版)による年代記原書湮滅)が参照可能である。この戦役に関する部分記述欠落が多いが、テオファネスと同じ一次資料から引用され可能性が高いと考えられている。

※この「包囲戦に関する史料」の解説は、「コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)」の解説の一部です。
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