李英和の平壌留学とは? わかりやすく解説

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李英和の平壌留学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 08:54 UTC 版)

拉致講義」の記事における「李英和の平壌留学」の解説

1991年平成3年4月6日在日朝鮮人3世関西大学専任講師だった李英和1年間予定で、朝鮮民主主義人民共和国留学した留学先首都平壌市中心に位置する朝鮮社会科学院であった。同科学院は、社会科学哲学分野では北朝鮮最大研究機関である。李英和記念すべき北朝鮮留学第1号となった1990年9月26日自由民主党金丸信副総理を代表とする訪朝団(金丸訪朝団)が金日成国家主席面会し、あと少しで日朝国交樹立にたどり着くところであった1988年ソウルオリンピック開催し1990年には旧ソビエト連邦国交結んだ韓国対し1987年大韓航空機爆破事件起こした北朝鮮北東アジアにおける孤立の度を深め日本との国交樹立活路見出そうとしていた。こうした流れのなかで留学生派遣の話が持ち上がったのである学内でたまたま1年間在外研究順番まわってきた李英和は、祖国である北朝鮮希望した北朝鮮希望した理由は、祖国がどんな経済展望発想持っているのか肌で感じ取りたいという素朴な好奇心1つ、もう1つは、親戚との再会祖母墓参であったという。しかし、許可はなかなか下りなかった。1990年初夏中間書類として身上書在日本朝鮮人総聯合会朝鮮総連)における活動記録留学目的記した主意書、身元保証人による保証書などを提出したが、半年何の音沙汰もなく、朝鮮総連関係者からも「無理なようだ」と言われた。あきらめた李英和ヨーロッパ留学準備始めたが、1991年1月下旬になって突如留学許可下りたのであるその後朝鮮総連大阪府本部東京中央本部から、韓国当局関連がないかを中心とする審査徹底的になされた。さらに、在日朝鮮人には日本からの出国の自由はあるが、入国の自由がないため、日本の法大臣による再入国許可証が必要であった北朝鮮からの再入国には前例がないため膨大な書類が必要であったし、再入国許可証期限は3か月間と定められていた。留学中3度日本北朝鮮往復するのは、費用その他様々な点で現実的ではなかったので、政治家にはたらきかけて、1年間有効、1回限りという再入国許可特例認められ、ようやく留学実現したのである。 ところが、この留学では朝鮮社会科学院に通うことは許されず、同科学院の教員とは大同江ホテル自室でしか会えず、その場合も申請許可が必要とされた。留学生活は、基本的にホテルでの自学自習必要なとき社会科学院教員からの出張講義を行うというものであった李英和は、社会科学院が無理なら金日成総合大学平壌外国語大学などで講義聴講したいと申請した許可されなかった。また、日本でいえば国立国会図書館相当する人民大学習堂図書資料の複写不可能とされ、閲覧は「案内員」と同席でないと許可できず、その案内員理由をつけて同席を断るような状態であった工場見学観光旅行ばかりではなくちょっとした外出にも「案内員」がついた。 3か月過ぎて朝鮮語基本学習終えたあたりから、朝鮮社会科学院教員による出張講義始まった教員は、社会科学院設置されている社会主義経済研究所主体経済学研究所世界経済・南南協力研究所などから派遣され研究者たちであるが、どの講師講義判で押したように北朝鮮当局の公式見そのままであり、そこから一歩も出るものではなかった。質疑応答も同様であり、ホテル部屋には盗聴器仕込まれていた。これならば日本書籍を読むのと変わりなく、わざわざ北朝鮮留学した意味はなかった。しかし、北朝鮮には「学問の自由」がまったくないという事実を身をもって知ることはできた。 極端な個人崇拝徹底した監視社会でたらめな経済政策庶民生活の破綻北朝鮮での留学生活は怒り失望連続であった極端な秘密主義のために、正確な経済データすら得ることができなかった。しかし、留学開始から5カ月過ぎたあたりから一般平壌市民と打ち解けて話すことができるようになった当初平壌市民は彼が「南のスパイではないか恐れたが、この警戒はすぐに解けた次いで、「徹底した金日成主義者」ではないかという警戒心持たれた。迂闊なことを話すと密告されるからである。そうでもないことがだんだんと知られるようになり、彼に心を許す人たちが増えたきわどい話は散歩しながらするようにした。散歩の際、相手急に黙りこみ、また話を続けということがあった。それは通行人装った北朝鮮秘密警察通過するのをやり過ごすためであった。彼は、一般市民本音政治情勢経済情勢について語り合う勉強会のような秘密の会合何度招かれた。

※この「李英和の平壌留学」の解説は、「拉致講義」の解説の一部です。
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