李英和の平壌留学
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1991年(平成3年)4月6日、在日朝鮮人3世で関西大学専任講師だった李英和は1年間の予定で、朝鮮民主主義人民共和国に留学した。留学先は首都平壌市の中心に位置する朝鮮社会科学院であった。同科学院は、社会科学・哲学の分野では北朝鮮最大の研究機関である。李英和は記念すべき北朝鮮留学第1号となった。 1990年9月26日、自由民主党の金丸信副総理を代表とする訪朝団(金丸訪朝団)が金日成国家主席と面会し、あと少しで日朝国交樹立にたどり着くところであった。1988年にソウルオリンピックを開催し、1990年には旧ソビエト連邦と国交を結んだ韓国に対し、1987年に大韓航空機爆破事件を起こした北朝鮮は北東アジアにおける孤立の度を深め、日本との国交樹立に活路を見出そうとしていた。こうした流れのなかで留学生派遣の話が持ち上がったのである。 学内でたまたま1年間の在外研究の順番がまわってきた李英和は、祖国である北朝鮮を希望した。北朝鮮を希望した理由は、祖国がどんな経済展望や発想を持っているのか肌で感じ取りたいという素朴な好奇心が1つ、もう1つは、親戚との再会と祖母の墓参であったという。しかし、許可はなかなか下りなかった。1990年初夏、中間書類として身上書、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)における活動記録、留学目的を記した主意書、身元保証人による保証書などを提出したが、半年間何の音沙汰もなく、朝鮮総連関係者からも「無理なようだ」と言われた。あきらめた李英和はヨーロッパ留学の準備を始めたが、1991年1月下旬になって突如、留学許可が下りたのである。その後、朝鮮総連大阪府本部や東京の中央本部から、韓国当局と関連がないかを中心とする審査が徹底的になされた。さらに、在日朝鮮人には日本からの出国の自由はあるが、入国の自由がないため、日本の法務大臣による再入国許可証が必要であった。北朝鮮からの再入国には前例がないため膨大な書類が必要であったし、再入国許可証の期限は3か月間と定められていた。留学中3度も日本と北朝鮮を往復するのは、費用その他様々な点で現実的ではなかったので、政治家にもはたらきかけて、1年間有効、1回限りという再入国許可が特例で認められ、ようやく留学が実現したのである。 ところが、この留学では朝鮮社会科学院に通うことは許されず、同科学院の教員とは大同江ホテルの自室でしか会えず、その場合も申請と許可が必要とされた。留学生活は、基本的にホテルでの自学自習、必要なときは社会科学院の教員からの出張講義を行うというものであった。李英和は、社会科学院が無理ならば金日成総合大学や平壌外国語大学などで講義を聴講したいと申請したが許可されなかった。また、日本でいえば国立国会図書館に相当する人民大学習堂の図書資料の複写は不可能とされ、閲覧は「案内員」と同席でないと許可できず、その案内員も理由をつけて同席を断るような状態であった。工場見学や観光旅行ばかりではなく、ちょっとした外出にも「案内員」がついた。 3か月が過ぎて朝鮮語の基本学習を終えたあたりから、朝鮮社会科学院の教員による出張講義が始まった。教員は、社会科学院に設置されている社会主義経済研究所、主体経済学研究所、世界経済・南南協力研究所などから派遣された研究者たちであるが、どの講師の講義も判で押したように北朝鮮当局の公式見解そのままであり、そこから一歩も出るものではなかった。質疑応答も同様であり、ホテルの部屋には盗聴器が仕込まれていた。これならば日本で書籍を読むのと変わりなく、わざわざ北朝鮮に留学した意味はなかった。しかし、北朝鮮には「学問の自由」がまったくないという事実を身をもって知ることはできた。 極端な個人崇拝、徹底した監視社会、でたらめな経済政策、庶民生活の破綻、北朝鮮での留学生活は怒りと失望の連続であった。極端な秘密主義のために、正確な経済データすら得ることができなかった。しかし、留学開始から5カ月を過ぎたあたりから一般の平壌市民と打ち解けて話すことができるようになった。当初、平壌市民は彼が「南のスパイ」ではないかと恐れたが、この警戒はすぐに解けた。次いで、「徹底した金日成主義者」ではないかという警戒心を持たれた。迂闊なことを話すと密告されるからである。そうでもないことがだんだんと知られるようになり、彼に心を許す人たちが増えた。きわどい話は散歩をしながらするようにした。散歩の際、相手が急に黙りこみ、また話を続けるということがあった。それは通行人を装った北朝鮮秘密警察が通過するのをやり過ごすためであった。彼は、一般市民と本音で政治情勢や経済情勢について語り合う勉強会のような秘密の会合に何度か招かれた。
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