日本からの出国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:17 UTC 版)
過去には同様の事件として、1966年2月に北朝鮮の武装漁船が下関に密航してきた事件(平新艇事件)が発生しており、この時は亡命希望者4人の韓国への亡命を認め、残りの船員9人と船体をソ連の仲介で返還した前例があったが、今回のように漂流者全員が第三国への亡命を求めた事態は初めてだった。 そのため日本政府は一族を直接韓国入りさせるのは問題があるとして一旦第三国に出国させ、韓国へ向かわせることにした。それまで金一族は入国(上陸)できないために狭い船内での生活を余儀なくされていたが、日本に漂着して19日目の2月7日未明、船上生活に終わりを告げた。 一族11名は午前3時45分頃、敦賀港の沖合い2.7kmの地点に停泊していたズ・ダン号から巡視艇に移り、さらには巡視船「おおすみ」に移乗した。一方、敦賀港内では海上保安庁によって、一族を上陸させているよう見せかける偽装工作が行われていた。この冬の未明の隠密作戦は、移送しようとしていることを北朝鮮側に悟らせないための措置であった。一族は「おおすみ」から午前8時ごろにヘリコプター2機で鳥取県米子市にある海上保安庁美保基地に移動していた。この事を海上保安庁は昼過ぎまで認めなかったため、昼過ぎまで金一族が移動したことに気が付かない者もいた。 午後3時半頃には海上保安庁所属のYS-11(機体記号:JA8791)に一族が搭乗し、美保基地をあとにした。途中、沖縄県の那覇空港に午後9時前に到着し、給油と一族の出国手続きを行い午後10時外務省の職員1名も同乗して出発し台湾(中華民国)・桃園県の中正国際空港(現在の台湾桃園国際空港)に到着した。
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