日本からの出席
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 13:51 UTC 版)
「アジア・アフリカ会議」の記事における「日本からの出席」の解説
インドが中国をアジアの鍵と考え招待しようとしたことに対し、インドと緊張関係にあったパキスタンは危機感を抱き、対抗策として日本の招聘を提案。両国が応じたことで、日本と中華人民共和国の初顔合わせとなった。もっとも、アメリカ陣営にいた日本にとって冷戦を否定する本会議は懸念材料であったため、政治的議論からは距離を取り、アジア諸国との経済関係再構築の場と捉えようとした。 日本からは高碕達之助経済審議庁長官を代表として加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)など外務大臣代理で出席した十数名が参加したが、他国は中華人民共和国の周恩来、インドのネルー、エジプトのナセル等いずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。会議では東西対立も見られたが、周は日本の意見を取り入れることで議論のまとめを行い、会議の立役者になっただけでなく、現地で高碕と戦後初の日中会談を行った。具体的な議論はなかったが、その後、高碕は日中関係発展に尽力することになる。 会議において日本は「政治問題には終始発言せず、陰で黙って見ていた。」と言うように、当初の予定通りとなった。
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