日本および日本人選手との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:08 UTC 版)
「バリー・ボンズ」の記事における「日本および日本人選手との交流」の解説
日米野球で4度来日した他、長い選手生活においては日本や日本人選手と様々な形で関わりを持った。母国では常に薬物疑惑を取り沙汰されるが、取材する側が日本人の場合はメディアに対しても気さくに応じることがある。 2002年のシーズンのみであったが、ジャイアンツの元チームメイトである新庄剛志は、孤立しがちなボンズと会話する唯一の人物であった。新庄は守備練習の時にグラブを手渡しするなどして、積極的にコミュニケーションをとっていたという。また新庄曰く、「ボンズより左側に飛んできた打球は全て俺が取る」と言ってボンズの守備での負担、疲労を軽減させ打撃に集中させたといい、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ボンズからホームラン記録を取れたのは新庄のおかげと言われたという。[要出典]ボンズも打撃練習中に自分が使うマスコットバットを新庄に貸したこともある。翌2003年に新庄がニューヨーク・メッツに復帰した際や引退後にも、好意的なコメントを残している。 2007年のオールスターでは、同地区のライバル球団ロサンゼルス・ドジャースのクローザーでもある斎藤隆とロッカーが隣で、斎藤にバットを一本プレゼントした。斎藤は「バリーは今色々言われていて最初は身構えてしまったけれど、僕が話したバリーはとても気さくな人だった。バットのスイートスポットをあともうちょっと広くしたいとか色々話してくれた。」と述懐した。また、岡島秀樹とのツーショットも撮られた。 松井秀喜とは、松井がFAの行使に迷っていた2002年の日米野球で来日した際、「メジャーでも成功するさ。日本と同じジャイアンツに来てほしい」などとエールを送った。また松井とは同年の日米野球の試合前に1974年「王vs.アーロン」以来の「日米本塁打競争」が行なわれたが、緊張で本塁打が打てずにいた彼に「肩の力を抜け」とジェスチャーしたり、肩を揉み緊張をほぐす等で気さくに接している。ヒューストン・アストロズの松井稼頭央には2006年のオフの自主トレの際には自身から声を掛けて色々打撃に関してアドバイスを送っている。 イチローに対しても高い評価をしており、「ローズの安打記録を抜くことに関しては賛否両論があるだろうが、自分はローズ以上の実力者と認めている」と絶賛していた。 王貞治はロサンゼルス・タイムズのインタビューで「筋肉増強剤の使用は悪いことだ」と前置きした上で「しかし、以前は禁止されていなかったのだし、第一、ステロイドを使用したからといってだれもがホームランを打てるようになるわけではない」と、ボンズの打撃技術を高く評価している。 大谷翔平についても「これまでに見たことのないくらいに素晴らしい選手だ」と賞賛している。
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