日本およびその周辺地域における植生植生変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 02:10 UTC 版)
「花粉分析」の記事における「日本およびその周辺地域における植生植生変遷」の解説
大阪層群における花粉分析では、日本における第三期の終わり(鮮新世)から第四紀に移行する植生変遷が研究されていた。この研究で明らかになった花粉集団が、以降訪れる氷期の植生変遷にも影響している。また、日本の大きな研究テーマは氷期につながる寒冷時代の堆積物を発見することであった。1952年に中村純が尾瀬ケ原上田代湿原の最下層部から寒冷時代末期のものと考えられる堆積物を発見し、時代区分を行い、その後多くの研究者が各地において様々な地層の調査を行った。極東のソ連では第二次世界大戦以降、急速に花粉分析の研究が発達した。ノイスタット(I.M.Neustadt)がその先覚者であり、1959年にGrana Palynologicaを発表した。朝鮮半島では松島真次や山崎次男の報告が主なもので、ハンノキ、マツ、モミなどが各層にわたり観察された。台湾では正宗厳敬などが台北における泥炭層からの堆積物を観察し、ナラ、モミ、シャクナゲ科、シダ類などについての報告を行った。その後、日本の研究者により台湾中央部における堆積物についての分析が発表された。
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