第四紀
第四紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/05 20:47 UTC 版)
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累代 | 代 | 紀 | 世 | 期 | 基底年代 Mya[* 3] |
---|---|---|---|---|---|
顕生代 | 新生代 | 第四紀 | 完新世 | メガラヤン | 0.0042
|
ノースグリッピアン | 0.0082
| ||||
グリーンランディアン | 0.0117
| ||||
更新世 | 後期更新世 | 0.129 | |||
チバニアン | 0.774 | ||||
カラブリアン | 1.8 | ||||
ジェラシアン | 2.58 | ||||
新第三紀 | 鮮新世 | ピアセンジアン | 3.6 | ||
ザンクリアン | 5.333 | ||||
中新世 | メッシニアン | 7.246 | |||
トートニアン | 11.63 | ||||
サーラバリアン | 13.82 | ||||
ランギアン | 15.97 | ||||
バーディガリアン | 20.44 | ||||
アキタニアン | 23.03 | ||||
古第三紀 | 漸新世 | チャッティアン | 27.82 | ||
ルペリアン | 33.9 | ||||
始新世 | プリアボニアン | 37.8 | |||
バートニアン | 41.2 | ||||
ルテシアン | 47.8 | ||||
ヤプレシアン | 56 | ||||
暁新世 | サネティアン | 59.2 | |||
セランディアン | 61.6 | ||||
ダニアン | 66 | ||||
中生代 | 251.902
| ||||
古生代 | 541 | ||||
原生代 | 2500 | ||||
太古代[* 4] | 4000 | ||||
冥王代 | 4600 | ||||
第四紀(だいよんき[注釈 1]、Quaternary period)は地質時代の一つで、258万8000年前から現在までの期間。
他の地質時代が生物相の大幅な変化(特に大量絶滅)を境界として定られたのに対し、第四紀は人類の時代という意味で決められた。したがって、古人類学の進展に伴い次々に古い原人が発見されるとともに第四紀の始まる年代も変化していった。現在ではヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定している。
第四紀より古い地層を、かつては三紀層と呼んでいたが、今では古第三紀・新第三紀に分かれている(#語源)。
語源
かつて、地質時代を大きく第一紀 (Primary)、第二紀 (Secondary)、第三紀、第四紀に分けたことに由来している。これらのうち第四紀のみが、現在も公式の名称となっている(第三紀は古第三紀と新第三紀に分割された)。
範囲
国際地質科学連合 (IUGS) は2009年に地質年代の区分方法を改めた[1]。日本地質学会や日本第四紀学会や日本学術会議地球惑星科学委員会などはこれに準じて2010年に定義を改定している[2]。
従前は「第三紀」と言って古第三紀と新第三紀の総称としてきたが、これを廃し、正式な用語としては「第三紀」「第三系」の術語を用いないことになった。また従前は新第三紀鮮新世に属していたジェラシアン(約258.8万年前〜約180.6万年前)が第四紀更新世に属することになった[2]。
これによりかつては181万年前以降を「第四紀」としていたが、約80万年さかのぼり、「第四紀」は258.8万年前から始まることになった[2][3]。
地球史46億年のうちでは短期間であるが、地球史の現代にあたり、近未来に続いてゆく時期である[4]。
特徴
生物
気候
- 北半球高緯度の地域に、大陸並の規模の氷河が分布している。
- 氷期と間氷期を繰り返している(氷河時代の年表 § 第四紀の氷期/間氷期サイクルの命名体系も参照)。
- 4万年周期での気候変動が卓越している。
新第三紀との併合問題
2004年の国際地質科学連合 (IUGS) において、第四紀を新第三紀に併合し新生代をPaleogeneとNeogene(新第三紀+第四紀)の2つに区分する提案がなされたが、同年の万国地質学会 (IGC) では批准されず、国際第四紀学連合 (INQUA) もこの提案に反対した。これを受けてIUGS内の国際層序委員会 (ICS) とINQUAのタスクフォースが設置され、結論として、
- 第四紀の存続
- 第四紀の始まりを260万年前とする
ことが提案された。これは2008年のIUGS大会で投票され、2009年6月に新しい定義が批准された。 これにより、ジェラシアン階の基底の年代である2.588 Maが第四紀と新第三紀の境界と定められた。
脚注
注釈
- ^ 一部の地学事典[どれ?]には「だいしき」と記述されているが、文部省『学術用語集 地学編』(日本学術振興会、1984年、ISBN 4-8181-8401-2、J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター)の表記は「Daiyonki」である。『学術用語集』編纂の経緯に鑑み、ここでは「だいよんき」とした。なお、日本第四紀学会公式サイト[1]において、「『だいよんき』と『だいしき』のどちらが正しいのか」との質問に対し、「『だいよんき』と『だいしき』のどちらが正しいということはありませんが、一般に広く用いられているのは前者です。日本第四紀学会の読み方としても「だいよんき」が使われます。」と回答している[2]。
出典
参考文献
- Field Geology9『第四紀』,遠藤邦彦・小林哲夫/著,日本地質学会フィールドジオロジー刊行委員会/編,共立出版,2012,2015(初版第3刷),ISBN 978-4-320-04689-4
- 国立天文台 編 『理科年表 平成20年』丸善、2007年。ISBN 978-4-621-07902-7 。
- 日本第四紀学会、町田洋、岩田修二、小野昭編著 『地球史が語る近未来の環境』東京大学出版会、2007年。ISBN 978-4-13-063705-3。
関連項目
外部リンク
- 日本第四紀学会
- International Union for Quaternary Research (INQUA)
- 地質系統・年代の日本語記述ガイドライン - 日本地質学会
- 国際年代層序表 (PDF) - 日本地質学会
- 地質年代表 - きまぐれ生物学 仲田崇志
第四紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 16:40 UTC 版)
長さは不明である。特に記していない場合、追補編 B(註を参照)によっている。 ゴンドールの暦では、第四紀は第三紀3021年3月25日に始まった。以下の出来事の大部分はホビット庄暦により記録されていたので、第四紀の年への換算には誤差がある。いくつかの出来事は第四紀の翌年に起こったかもしれない。 6年 - ペレグリン・トゥックはロング・クリーヴ家のダイアモンドと結婚した。 (年不詳) - エオメルとロシーリエルの息子、エルフヴィネの誕生。 (年不詳) - ファラミアとエオウィンの息子、エルボロンの誕生。 (年不詳) - 石の兜トーリン3世の息子、ドゥリン7世の誕生。 13年 - ペレグリン・トゥックはホビット庄の第32代セインになった。 15年 - ギムリの父、グローインの死。 34年 - イムラヒル大公の死。イムラヒルの息子エルフィアが大公を継いだ。 41年 - 庭師家のフロドの跡取り息子、庭師家のホルファストの出生。 43年 - アラゴルンとアルウェンの息子、エルダリオンの誕生。 61年 - サムワイズ・ギャムジーはミスロンドから中つ国を去った。 63年 - 102歳のメリアドク・ブランディバックおよびペレグリン・トゥックはゴンドールに住むためにホビット庄を去った。エオメルの93歳での死。かれの息子エルフヴィネがローハンの王座を継いだ。 67年 - イムラヒルの息子エルフィア、ドル・アムロスの第23代大公の死。エルフィアの息子アルフロスは大公を継いだ。 80年 - サム・ギャムジーの相続人およびひ孫のお山のハーディングの出生。 82年 - ファラミアの120歳での死。かれの息子エルボロンは大公を継いだ。 91年 - バーリンの弟ドワーリンの341歳での死。 95年 - ドル・アムロスのエルフィアの息子のアルフロス大公の死。 120年 - アルノールとゴンドールの再統一王国の王、アラゴルンの210歳での死。治世は122年にわたった。アラゴルンの息子エルダリオンが王位に就いた。伝説によると、アラゴルンの死に際して、レゴラスは船を作り不死の地へ向け西に旅立った。このとき、いまや非常に年老いたドワーフのギムリを連れて行ったという。 121年 - アルウェンの2901歳での死。 172年 - 西境の赤表紙本の写本の一つが作られた。 185年 - お山のハーディング、サム・ギャムジーの相続人の死。
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第四紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 00:16 UTC 版)
『指輪物語』完結後の時代である。冥王の影が失せ、ゴンドールとアルノールを再統一したエレッサール王(アラゴルン)の統治は磐石となったが、周辺諸国との小競り合いはその後も続き、ローハン王エオメルとともに出陣する機会もたびたびあった。エレッサール王は第四紀120年に崩御したが、息子のエルダリオンが立派にあとを継いだ。 エルフのうち、ガラドリエルやエルロンドといった最有力者は、第四紀が始まる前にフロドやビルボとともに西方へと去った。穢れのはらわれた闇の森、すなわち緑森大森林の北部にはスランドゥイルの国が栄え、南部にはロスローリエンから移住してきたケレボルンたちの「東ローリエン」が築かれた。レゴラスはイシリエンに一族を連れて住まった。だがかれらもエレッサール王が世を去るころにはみな渡海してしまった。 エレボールのドワーフは、トーリン3世のもとで指輪戦争の終結を迎えた。ギムリは同胞の一部とともにアグラロンドに移住し、ゴンドールやローハンでおおいに働いた。しかしかれも最後にはレゴラスと一緒に西へ向かったという。一方、正確な年代は定かではないが、エレボールの王家のもとにはドゥリン7世が誕生した。かれは始祖ドゥリン最後の転生であり、そのことはドワーフ王がかれで最後になることを意味した。 ホビットたちは、いたって平和に暮らした。サムワイズ・ギャムジーはホビット庄の庄長を何度も務めたのち、最後の指輪所持者として西の海を渡っていった。メリアドク・ブランディバックとペレグリン・トゥックは、老後をローハン、ついでゴンドールで過ごし、その地で息を引き取った。 こうして指輪の仲間はみな中つ国から去った。人間の国はその後も繁栄したが、その他の種族は衰微していった。この時代がどれくらい続いたのかはわからないが、一般的に知られる歴史時代へとつながっているとされる。 詳細は「第四紀 (トールキン)」を参照
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第四紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:17 UTC 版)
約150万年前には太平洋の海水が紀伊水道を通って近畿地方へ流れ込み、約130万年前の二回目の海進で第二瀬戸内海が誕生した。大阪大学豊中キャンパスで発見されたマチカネワニ(トヨタマヒメイア・マチカネンシス)の化石は、この第二瀬戸内海誕生から100万年ほど後の時代のものである。 またこの頃の地球は氷期と間氷期のサイクルが繰り返す氷河期の真っ只中にあり、それによる海水準変動に加えて山地の隆起・全体的な地盤の隆起・沈降域の減少が起きたため、第二瀬戸内海では海岸段丘が多く形成されるようになる。このような段丘からはナウマンゾウの化石が産出する。やがてウルム氷期が始まると海水準は現在よりも130 - 140メートル程度低い状態になり、瀬戸内海は再び陸地化した。やがて氷期が終わると海水面は上昇した(縄文海進)。約9000年前の海水準は現在よりも20 - 25メートル程度低い状態であったが、約7000年前には現在の海水準を上回って岡山大学津島キャンパス付近まで海岸線が迫っていた。現在の瀬戸内海は、おおむね第二瀬戸内海の縮小版である。 縄文時代前期の貝塚が岡山県で産出しており、当時の縄文人が瀬戸内海の海産資源を利用して生活を営んでいたことが示唆されている。瀬戸内市から出土した貝塚のヤマトシジミは14C年代から約8500年前のものであることが示唆され、この頃に当時の平原に海が広がり始めていたことが推測されている。また、貝塚の上部はヤマトシジミよりも沖合に生息するカキやハイガイに占められており、さらに海進が進んで縄文人の食生活も変化しつつあったことが読み取れる。縄文時代中期以降は貝塚は減少するが、この頃からは土砂により微高地が形成されており、後に集落としての土地利用がなされるようになる。
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第四紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/10/24 06:48 UTC 版)
「エルラダンとエルロヒア」の記事における「第四紀」の解説
3021年にエルロンドが中つ国を去ったあとも、エルラダンとエルロヒアは裂け谷に留まった。かれらの祖父ケレボルンも、ガラドリエルが去ってしばらくすると、ロスローリエンを立ち去って、しばしの間裂け谷に住んだ。半エルフであるエルラダンとエルロヒアは妹のアルウェンと同様に、中つ国にとどまるなら人間の運命を、西方に去るならエルフの運命を選ぶことができたが、かれらがどのような決定をしたのかは分からない。
※この「第四紀」の解説は、「エルラダンとエルロヒア」の解説の一部です。
「第四紀」を含む「エルラダンとエルロヒア」の記事については、「エルラダンとエルロヒア」の概要を参照ください。
「第四紀」の例文・使い方・用例・文例
- 第四紀.
- 第四紀という地質時代
第四紀と同じ種類の言葉
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