訪朝とは? わかりやすく解説

訪朝


訪朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:07 UTC 版)

アントニオ猪木」の記事における「訪朝」の解説

2013年7月25日から北朝鮮朝鮮戦争休戦60年記念行事出席平壌金永南最高人民会議常任委員長会談した参議院規則では議員登院できない場合には議院許可を得ることとされているが、参議院選挙比例区当選した後ではあったものの前任参議院議員任期満了7月28日であり未だ民間人なので問題はないと説明されていた。 その後北朝鮮スポーツ強化委員長であった張成沢打診を受け、10月下旬再度訪朝の意向示した10月31日参議院議院運営委員会理事会は「必要性がない」として渡航不許可決定。しかし、不許可不合理反発して11月入って実際に訪朝が実行されたため、参議院議院運営委員会理事会処分含めた対応を検討11月13日参議院本会議懲罰動議可決され懲罰委員会付託し処分の是非や内容審査することとなった懲罰委員会からは弁明機会与えられいたもののこれを拒否し11月20日懲罰委員会理事懇談会協議登院停止30日処分内容決定され11月21日懲罰委員会でこれを全会一致可決11月22日参議院本会議登院停止30日とすることに維新を除く賛成多数可決された。また、維新から党としての処分として、党員資格と党国会議員団副幹事長職のそれぞれ50日間停止言い渡された。 さらに猪木招待した張成沢12月8日粛清され公職追放された。そして12月12日死刑判決を受け、即日処刑された。猪木は張の処刑について聞かれ、「よく分からない北朝鮮神経質になっているときなので余計なことを話さず、言葉控えたい」と答えた。しかし、訪朝時に打診した国会議員団訪問受け入れは、北朝鮮側から約束はまった変わらない」と返答があったという。猪木は、理事長務めNPO法人スポーツ平和交流協会」が平壌設立した事務所通じた交流活動についても「変化しない」と述べた2014年1月13日 - 16日にかけ、北朝鮮訪問した猪木の訪朝はこれで27回目となる。 2014年4月には同じ維新の会松浪健太石関貴史阪口直人(衆)、清水貴之(参)の4議員とともにゴールデンウィーク中の再度の訪朝を計画した維新の会は党として許可した ものの、政府として北朝鮮に対して渡航自粛勧告通達するなど制裁発動中であることを理由自民党からの自粛要請逢い渡航必要な衆参両院許可得られる見込みなくなったとして最終的に断念した同年6月第186回国会閉会待って再度の訪朝計画発表国会会期以外の海外渡航議員所属する各院の許可不要であるため)、これに対して菅義偉官房長官7月7日定例記者会見で、政府北朝鮮へ経済制裁一部解除したことを踏まえ渡航特段措置を取ることはない」として反対しない方針表明7月9日猪木上記の4議員みんなの党山田太郎参議院議員加えた6名の議員団組織して北朝鮮へ出発平壌市内各施設開城市などを訪問したほか、朝・日友好親善協会顧問ある朝労働党姜錫柱書記労働党国際部副部長務め朝日友好親善協会根光会長会談行い拉致問題解決向けた取り組み人的交流確認し合った

※この「訪朝」の解説は、「アントニオ猪木」の解説の一部です。
「訪朝」を含む「アントニオ猪木」の記事については、「アントニオ猪木」の概要を参照ください。

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