乱中日記
16世紀・李氏朝鮮において活躍した武将・李舜臣が自ら綴ったとされる日記。「乱中日記」の呼び名は後世になり付けられた便宜的呼称である。
韓国の慶尚南道庁(Gyeongsangnam-do Provincial Hall)が運営している「忠武公李舜臣」ウェブサイトによれば、乱中日記は「壬辰倭乱」すなわち文禄の役の発生した1592年から、「露粱海戦」すなわち慶長の役の戦中である1597年の間に書かれたものであるという。つまり、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行っていた7年の間の李朝側の記録である。
2012年3月、韓国は乱中日記をUNESCOの「世界記憶遺産」に申請すると発表している。
関連サイト:
忠武公李舜臣 (日本語) - Gyeongsangnam-do
乱中日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 15:17 UTC 版)

『乱中日記』(らんちゅうにっき、朝鮮語: 난중일기)とは、李氏朝鮮の将軍であり文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いた李舜臣が、戦時中である1592年1月1日から1598年11月17日にかけて書いた日記である[1]。亂中雜録や乱中雑録との表記もある。
現在は忠清南道牙山市の顕忠祠に所蔵。大韓民国の国宝「李舜臣乱中日記および書簡帖壬辰状草」の構成資産である[2]。
概要
日記は「壬辰日記」(1592年)、「癸巳日記」(1593年)、「甲午日記」(1594年)、「乙未日記」(1595年)、「丙申日記」(1596年)、「丁酉日記」(1597年)、「続丁酉日記」(1597年)、「戊戌日記」(1598年)の8冊で構成されており、現在は「乙未日記」を除く7冊が伝わり保存されている[1]。
日記は海軍の最高指揮官が自ら毎日の戦闘状況や個人的考えを率直に記しているという点や、戦略面での細かな情報、当時の庶民の様子までも記されており、世界でもなかなかない日記となっている[1]。また、投降する日本兵のことや、老いた母への心配なども書かれている[3]。
第11回ユネスコ世界記憶遺産国際諮問委員会(IAC)が2013年6月18日、光州広域市で開かれた際に「世界の記憶」遺産に登録された[4]。
日本では2000年から2001年の台風に全3巻の『乱中日記 壬辰倭乱の記録』を北島万次訳で平凡社・東洋文庫より出版している。
脚注
- ^ a b c “駐大阪韓国文化院 Korean Cultural Center”. k-culture.jp. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “국보 이순신 난중일기 및 서간첩 임진장초 (李舜臣 亂中日記 및 書簡帖 壬辰狀草) : 국가문화유산포털 - 문화재청” (朝鮮語). Heritage Portal : CULTURAL HERITAGE ADMINISTRATION. 2023年9月5日閲覧。
- ^ Inc, NetAdvance. “週刊東洋文庫1000:『乱中日記 壬辰倭乱の記録(全3巻)』(李舜臣著 北島万次訳注)”. JapanKnowledge. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “「乱中日記」、セマウル運動記録が世界記憶遺産に”. www.mindan.org. 2023年9月5日閲覧。
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