史書の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:05 UTC 版)
亀甲船は複数の史書にその存在が記されている軍艦である。ただし、現存する当時の船体がないことや、史書の記述があいまいな事から、詳細が不明な点も少なくない。 亀甲船についての記述が初めて登場するのは15世紀の太宗実録であり、近海の警備に使われていたらしく、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)で5隻が運用されたとされる。日本側の記録には登場しない。 李舜臣行録「亀甲船の大きさは、板屋船(当時の主力戦艦)とほぼ同じく上を板で覆い、その板の上には十字型の細道が出来ていて、やっと人が通れるようになっていた。そしてそれ以外は、ことごとく刀錐(刀模様のきり)をさして、足を踏み入れる余裕も無かった」、「前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。左右にはそれぞれ6個の銃口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだ」、「戦闘になると、かや草のむしろを刀錐の上にかぶせてカモフラージュしたので、敵兵がそれとも知らず飛び込むとみな刺さって死んだ。また、敵船が亀甲船を包囲するものなら、左右前後から一斉砲火をやられた」 亀甲船(亀船)が具体的に登場する史書は、『李舜臣行録』と『忠武公戦書(李忠武公全書)』(『乱中雑録(乱中日記)』)のみで、名前だけが登場するものに『太宗実録』などがある。
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