島津 久通 (しまづ ひさみち)は、薩摩国 薩摩藩 家老 宮之城島津家 第4代。
家系 宮之城島津家家は、島津忠良 の三男尚久 に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降に薩摩国宮之城を領した。
略歴 慶長9年(1605年)島津家家臣新納忠在(島津久元)の長男として生まれる。母は新納忠増の娘。当時父忠在は、新納家に養子入りしていた。
元和 元年(1615年 )12月、元服した。寛永 4年(1627年 )藩主家久の供をして江戸 に出府した。江戸に滞在中に荒木元政に入門し、荒木流 馬術 の伝書を受ける。
寛永17年(1640年 )3月、永野金山 を発見した。寛永20年(1643年 )父久元死去により、宮之城島津家の家督を相続。
正保 2年(1645年 )3月、藩主光久の命で家老に就任。「島津世録」八巻を編纂した。
正保4年(1647年 )11月13日、藩主光久が、将軍徳川家光 を招いて武蔵国 王子村で犬追物 を開催。久通は射手を率いて参加し、将軍に拝謁した。
寛文 2年(1662年 )藩主光久の命で、新田開発のために天降川 の河川改修に着手し、4年後の寛文6年(1666年 )に完成させた。
寛文 12年(1672年 )隠居し家督を久竹に譲る。[ 1]
延宝2年(1674年)11月29日、死去。享年71。
人物 儒学者 林春斎 の門人となり、江戸に滞在中は度々その元を訪ねて教えを受けた。
出典
参考文献 宗家 忠久 ????-1227 | 忠時 1227-1265 | 久経 1265-1284 | 忠宗 1284-1318 | 貞久 1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
総州家 師久 1363-1376 | 伊久 1376-1404 | 守久 1404-???? | 久世 ????-1417 | 久林 1417-1430 | 断絶
奥州家 氏久 1363-1387 | 元久 1387-1411 | 久豊 1411-1425 | 忠国 1425-1470 | 立久 1470-1474 | 忠昌 1474-1508 | 忠治 1508-1515 | 忠隆 1515-1519 | 勝久 1519-1526 | 貴久 1526-1566 | 義久 1566-1587 | 義弘 1587-1602 | 家久 1602-1638 | 光久 1638-1687 | 綱貴 1687-1704 | 吉貴 1704-1721 | 継豊 1721-1746 | 宗信 1746-1749 | 重年 1749-1755 | 重豪 1755-1787 | 斉宣 1787-1809 | 斉興 1809-1851 | 斉彬 1851-1858 | 忠義 1858-1897 | 忠重 1897-1968 | 忠秀 1968-1996 | 修久 1996-現在
越前家 播磨家 忠行 行景 忠政 忠幹 忠藤 忠兼 忠親 範忠 忠儙 忠秀 忠光 忠勝 忠持 忠長 忠之 義弘 政之 義綱 忠長 良久 忠義…義清 義重 忠正 信夫 昌之 伊作家 久長 1281-1317 | 宗久 1317-1354 | 親忠 1354-1371 | 久義 1371-1422 | 勝久 1422-1433 | 教久 1433-1442 | 犬安丸 1442-1458 | 久逸 1458-???? | 善久 ????-1494 | 忠良 1494-1526 | 相州家相続
薩州家 用久 ????-1459 | 国久 1459-1498 | 成久 1498-???? | 忠興 ????-1525 | 実久 1525-1553 | 義虎 1553-1585 | 忠辰 1585-1595 | 断絶
相州家 →垂水家 豊州家 玉里家 久光 1871-1887 | 忠済 1888-1915 | 忠承 1915-1990 | 忠広 1990-現在
加治木家 佐土原家 忠興 1610-1637 | 久雄 1637-1663 | 忠高 1663-1676 | 久寿 1676-1690 | 惟久 1690-1723 | 忠雅 1723-1753 | 久柄 1753-1785 | 忠持 1785-1816 | 忠徹 1816-1839 | 忠寛 1839-1896 | 忠亮 1896-1909 | 忠麿 1909-1926 | 久範 1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
重富家 和泉家→ 今和泉家 宮之城家 永吉家 家久 豊久 忠栄 久雄 久輝 久貫 久抦 久芳 久寛 久輔 久明 久陽 久敬 久籌 久徴 久憲 泰輝 基之 博之 日置家 北郷氏 →都城家 佐多氏 → 知覧家